2. テサロニケ
テサロニケは、アレクサンドロス大王の将軍カサンダーにより、紀元前三一五年 に建設されました。カサンダーは、昔の王族の最後の生き
残りでありましたフィリッポス二世 の娘であり、アレクサンドロス大王の異母姉妹であるテサロニカと結婚することにより、マケドニアでの自ら
の地位を固めました。彼はその新しい町に自分の妻の名前をつけたのです。ロー マの雄弁家であり、政治家であり、哲学者でもありましたキ
ケロは、このテサロニケに紀元前 五八年に流されました。また、アントニウスとオクタウィアヌスは、ピリピで戦いに勝ってから、ここにきまし
た。彼らに与えられ住民の協力に感謝して、テサロニケをアテネと同じよう な自由都市としたのです。使徒たちの時代であるローマの支配下に
ありましては、テサロニケ はマケドニア州の首都でした。 写真1、2 は、テサロニケにあるアギオス・デメトリオス教会です。また写真3、4、5
は、その教会の内部であり、 写真6、7 は、そこにかかっている壁画です。図11 はそのテサロニケです。 写真8、9、10 は、テサロニケの海
岸です。写真11は、テサロニケの象徴であるホワイト・タワーです。その基礎はギリシア時代のものですが、現在のような形になりましたのは、
ずっと後でして、一五三六年に完成したものです。それは、オスマン・トルコによる軍事上の 建築物の典型的な例です。 写真12 は、アレクサ
ンドロス大王の像です。その父親のフィリッポス二世の骨壷が、テサロニケ博物館にあり、それが 写真13です。さらに、ガイドさんに案内して
もらって、オシオス・テタビデ教会にまいりました。それが、写真14、15、16、17です。写真18は、預言者エゼキエルがみたキリストについて
のビジョンとして、有名なものです。