8. エフェソ訪問
このようにして、アカイアの首都でありましたコリントでの一年六ヶ月にわた ります労苦に満ちた宣教の業を終えて、エフェソに向けて、海を
横断しました。乗る船をま つために、それほど長い時間を要しなかったと思われます。といいますのは、コリントとエフェソと申しますと、二つの
当時非常に繁栄しておりましたアカイアとアジアというそれぞれ、ロ ーマの属州の首都でありました。また商業の中心でもありました。ですか
ら、船の出入りが多 く、輻湊の激しい航路であったようです。この船旅は、五一年の秋になされました。コリントから船出しまして、船はキクラ
デス諸島を通り、エフェソ湾に入りました。キケロの書いたもの によりますと、コリントから小アジアの海岸に到達するのに十五日かかったとし
ていますが、 他の古代の作家によりますと、三、四日だとしています。船が西から街に近づき、ケイスター 川の広い河口に入って行くにつれ、
使徒の目の前には感動的な光景が繰り広げられたに違いあ りません。今は港はなくなりまして、エフェソの街は、内陸都市のように見えます
が、当時はケイスター川の運んできます泥土により、もう浅くはなってはいましたが、港でありました。 図13 はエフェソのその周辺であり、 図
14 はエフェソの街の地図です。ですから、今はエフェソに行くためには、写真1、 2、3、4にでていますクサダシの港からまいります。写真5、
6は、何度が参りました懐かしいクサダシの町です。写真7は、宿泊したホテルです。
このエフェソの港に上陸したパウロと、それにアクラとプリスキラ夫婦は、巨大 な門をくぐりまして、劇場に続きます街路を歩きました。この街
路は大理石で舗装されていて 、長さが五百メートルありました。後になりましてその街路は拡大し、修復しました皇帝アルカディウスを記念し
て、アルカディアン通りと名付けられました。 写真8、9、10、11がそれです。この街路の両側には、列柱が並んでいまして、その後ろには倉
庫と店舗とがありました。四世紀 には、このアルカディアン通りには、夜になりますと街灯がともりましたが、パウロの頃には まだありませんで
した。その突き当たりには大劇場があります。この劇場はヘレニズムの時代 に始められ、クラディウス皇帝のときに拡大され、トラヤヌス皇帝
のときに完成しました。し たがって、パウロはそれが拡大されたときにここに来たことになります。