9. 遺跡
一七年に、エフェソは地震により破壊されてしまいました。皇帝ティベリウスが 再建に着手しまして、後のハドリアヌスがその再建をほとんど
完成いたしました。したがって 、今エフェソの観光で見ることのできます建物の多くは、パウロの時代にあったものではないの です。たとえば、
女神のアルテミスと皇帝アントニナス・ピウスに捧げられました有名なヴェディウス体育館は、二世紀に建てられたものです。コンスタンティヌス
浴場も、同じく二世紀 のものです。同様に、大理石通りの一番端にある 写真1 のケルソスの図書館や広々としましたポーチコのある巨大なセ
ラピス神殿や、写真2 の優雅な小さい音楽堂も、パウロの時代にはありませんでした。
少しエフェソの遺跡をたどってみることにいたします。 写真3 はクレテス通りです。写真4はそこにあるニケの女神です。 写真5 は蛇の石碑
でして、この近くに病院があったことを示しています。 写真6 はトラヤヌスの泉、写真7 はトラヤヌス皇帝です。写真8はスコラスティカ浴場、 写
真9 は公衆便所、 写真10はハドリアヌス神殿です。その浮彫りが、写真11です。かつての神殿の想像図が、写真12です。それから 写真1
3 は博物館にあるドミティアヌス皇帝の像です。 この皇帝はキリスト教徒の迫害で有名です。使徒パウロが旅行しました頃には、アジアとガラ
テヤのローマの属州のすべて の主な都市には、大きなユダヤ人社会が存在していました。紀元前二〇〇〇年頃に、バビロン を後にして、い
ろいろなところにディアスポラとして定住いたしました。エフェソもその一つで した。そして、完全なローマの市民権を与えられていたのです。こ
のように、ローマの市民で あったユダヤ人たちは、兵役を免除され、彼らの慣習を守り、彼らの律法に従って生活するこ とが許されていまし
た。