讃美歌514(よわきものよ)

9. 遺跡

 一七年に、エフェソは地震により破壊されてしまいました。皇帝ティベリウスが 再建に着手しまして、後のハドリアヌスがその再建をほとんど

完成いたしました。したがって 、今エフェソの観光で見ることのできます建物の多くは、パウロの時代にあったものではないの です。たとえば、

女神のアルテミスと皇帝アントニナス・ピウスに捧げられました有名なヴェディウス体育館は、二世紀に建てられたものです。コンスタンティヌス

浴場も、同じく二世紀 のものです。同様に、大理石通りの一番端にある 写真1 のケルソスの図書館や広々としましたポーチコのある巨大なセ

ラピス神殿や、写真2 の優雅な小さい音楽堂も、パウロの時代にはありませんでした。


1. ケルソスの図書館

2. 音楽堂

 少しエフェソの遺跡をたどってみることにいたします。 写真3 はクレテス通りです。写真4はそこにあるニケの女神です。 写真5 は蛇の石碑

でして、この近くに病院があったことを示しています。 写真6 はトラヤヌスの泉、写真7 はトラヤヌス皇帝です。写真8はスコラスティカ浴場、

真9 は公衆便所、 写真10はハドリアヌス神殿です。その浮彫りが、写真11です。かつての神殿の想像図が、写真12です。それから 写真1

は博物館にあるドミティアヌス皇帝の像です。 この皇帝はキリスト教徒の迫害で有名です。使徒パウロが旅行しました頃には、アジアとガラ

テヤのローマの属州のすべて の主な都市には、大きなユダヤ人社会が存在していました。紀元前二〇〇〇年頃に、バビロン を後にして、い

ろいろなところにディアスポラとして定住いたしました。エフェソもその一つで した。そして、完全なローマの市民権を与えられていたのです。こ

のように、ローマの市民で あったユダヤ人たちは、兵役を免除され、彼らの慣習を守り、彼らの律法に従って生活するこ とが許されていまし

た。

3. クレテス通り

4. ニケの女神

5. 蛇の石碑

6. トラヤヌス皇帝の泉

7. トラヤヌス皇帝

キリスト新聞社「バイブル・メイト」転載


8. スコラスティカ浴場

9. 公衆便所

10. ハドリアヌス皇帝神殿

11.浮彫り

12.ハドリアス神殿想像図

13. ドミティアヌス皇帝