V エフェソ瞥見
1. アルテミス神殿
数世紀に渡り、古代世界のあらゆる隅々から、巡礼者たちが、エフェソのアルテ ミス・ダイアナの女神に、犠牲を捧げるために、毎年、お祭り
の月間に集まってきました。神 殿はほかとは比較できないような豪華なものでありまして、また途方もない大きさのために 、世界の七不思議
の一つとされたものです。ある古代の作家は、こんな風に書いています。「 わたしは、古代バビロンの壁と空中庭園を見ました。またオリンピア
のヨブの像、ロドス島の コロッサス、高く聳え立ちますピラミッドの偉大な労作、そしてマウソラスの古代の墓を見ま した。けれども、わたしは
雲の中に聳えますエフェソの神殿を見ましたときに、これらのほかの 驚きは霞んでしまいました。」長い歴史の流れの中で、アルテミスの神殿
は、何回か破壊され、それからまた再建されました。使徒パウロが見ました神殿は、これらの再建されましたもののうちの紀元前三世紀の前
半に完成されました最後のものでした。
使徒パウロの同時代の大プリニウスがその神殿につき述べていますことを参考 にしますと、神殿は地震によって破壊されないように、沼地
の上に建てられました。縦が百二十八メートル、横が六十八メートルありまして、十八メートルの高さの柱が百二十七本立って おりまして、一
つ一つが別の王様により建立されたものです。これらのうち、三十六の柱には 、精巧なレリーフが彫刻されています。その一つがロンドンの大
英博物館にあります。その完 成には百二十年という年月が費やされました。一九六五年にオーストリアの考古学者が、神殿の聖所を見つけ
ました。それは大理石でできておりまして、馬の脚の形をしました祭壇であり 、横が三十メートル、縦が二十メートルありました。ストラボンによ
りますと、アルテミス神殿は、宦官の祭司メガビジにより仕えられていたということです。彼らは非常に尊敬されていま して、処女の女性が彼ら
を助けました。またクレテスという祭司たちも、アルテミス神殿に仕えました。 写真1はその神殿の広場であり、神殿の跡は、ご覧のように、今
は一本の柱が申し訳けみたいに立っており まして、かつての面影は全くございません。 写真2は、大英博物館に展示されているアルテミス神
殿の柱です。出土品の多くは、現在は大英博物館にあります。写真3は、その柱の想像図です。アルテミスの神殿は、 多くの神殿と同じよう
に、犯罪者や逃亡奴隷の隠れ場になってい ました。だから、オネシモもここにパウロを頼ってやってきたのでしょう。ペルシアの王のダ レイオ
スがアジアの神殿を破壊しましたときに、アルテミスの神殿だけは残しました。ペルシアの王ダレイオス、マケドニアの征服者アレクサンドロス
大王、ローマの将軍アントニウスは、 そういった人たちは皆このダイアナに尊敬の念をもっておりました。 写真4は、祭られていた女神アルテミ
スです。