讃美歌228(ガリラヤのかぜ)

4. エフェソの信徒への手紙

 聖書の新約のエヘェソの信徒への手紙は、必ずしもエフェソという特定の教会に宛てて書かれたものではなくて、アジアのすべての教会に

出された回状のようなものでした。一体エフェソの信徒への手紙は、誰が書き、どこに宛てて書いたのかということです。権威あるギリシア語の

二つの写本には 、第一章第一節のエフェソという語がありません。ということは、エフェソの信徒への手紙と申しますのは、回状であったという

ことです。またその書かれた時期は、それをパウロの時代に 帰しております多くの学者が存在しているのです。その著者につきましては、使

徒の弟子の一 人とする人もいます。たとえばエフェソのオネシモだと主張します。けれども、直接パウロによ り書かれたものであるといたしま

すと、これは彼の獄中書簡の最後のものとなります。誰が書 いたとしても、それはアジアのいくつかの教会か、そのすべてかに宛てて書かれ

たものであり ました。あちらこちらの教会に、エフェソの信徒への手紙六章二十一節にでていますような「愛する兄弟であり、忠実に仕える者

のテキコが、その場所々々の名称である「エフェソにいる」、「ラオディキアにいる」、「ヒエラポリスにいる」をその出向いた所で挿入したもので

しょう。エフェソの信徒への手紙は、パウロの手紙のなかにおいて、最も一般的なものです。そこには、どのような特定の状況についても書か

れていません。著者はいくつかの個所におい て、教会の一致をみだす異端について語っています。このようにして、手紙の題目がしばしば

「教会の一致と神聖」について記述されています。教会はいろいろなメンバーから成り立って いましたが、キリストにおいて一つであり、キリスト

御自身にすべてがまとまり、部分々々の 多様であることは、全体の一致に対して豊かな生命をもたらしていたのです。