6. トロアスに寄る
フィリピの人たちとの再会を喜びましてから、過越の月が欠け始めるますと、パ ウロとルカは、トロアスに向けて船出しました。ネアポリスから
トロアスまでは、普通は二日で行くことができるのですが、たまたま風向きがよくなかったために、五日もかかってしまい ました。パウロはこれ
までに、二回トロアスに来ています。二回とも慌ただしく去りましたが 、今度は比較的ゆっくり滞在できました。アレクサンドロス大王の命令に
よりましてアンティゴ ノスとリシマカスにより建設された港湾都市アレクサンドリア・トロアスで、キリスト教徒の 集りがもたれました。使徒がそ
の街での始めの六日間、何をしていたのか分かりません。パウ ロの滞在の最後の日に、会衆がパンを裂くために集まり、礼拝をもちました。
それは、土曜日 の午後六時に始まりました。主イエス・キリストが、弟子たちと共になされたように、食事を 祝うために階上に集まりました。彼
らと再び会うことのないことを知っておりましたパウロは 、真夜中まで説教をしていました。聞き手の一人であるエウティコという青年が、窓際
に座ってい ましたが、眠りこけて三階から地上に落ちてしまいました。最初のうちは、皆は青年は死んだ と思いました。パウロか降りていきま
して、その青年の上にかがみ込み、抱きかかえ生き返ら せました。このことは、使徒言行録二十章十節に出ています。それからまた、三階に
行きまして、夜明けまで話しが続いたのです。
さて、パウロの仲間たちはトロアスを船出しまして、アソスに向かいました。 写真1 はそのアソスの城壁です。また、 写真2 は、アソスに入
る市の門です。写真3、4は、アソスの港です。写真5は、そこから展望したものです。写真6、7は、女神アテナの神殿です。どうしたことか、パ
ウロ自身は歩きまして、アソスで皆と落ち合うこととしました。そのため、パウロは数 時間のことですが、余分にトロアスに滞在できました。ここ
で、最後の別れを惜しみました。 ここでは、パウロはあまり時間を割くことができませんでした。このことは、コリントの信徒への手紙二 二章
十二節から十三節にでております。テトスに会うためにでかけたときに 、戻ってくるとでもいったのでしょう。しかも、再びここに帰ってくる可能性
が少ないという ことであれば、その滞在がひきのばされたのは当然のことでありました。それから、使徒パウロはエルサレムで待ち受けてい
ます苦難のことを思いまして、主イエスの支えを祈りながら、 遅れたために独り陸路を旅しました。予定通り、パウロは仲間たちとアソスで一緒
になりまし た。そこで、パウロは共に船に乗り、ミテレネに着き、それからキオス島の沖を通りましてサ モス島に寄港しました。 写真8 は、そ
のサモスの港です。また 写真9はサモスの島です。写真10、11は、サモスのシンボルともいうべきヘラ神殿の柱です。写真12は、有名なト
ンネルの入り口です。写真13は、とある教会で、きれいな建物でつい写真をとったものです。それから、ミレトに着きました。