7. ミレトスでの邂逅
このようにしまして、エフェソには寄らずに、このミレトスにエフェソの教会の長老 たちを呼び寄せました。ミレトスは、現在ベルリンのペルガモ
ン博物館にあるの市場の門で有名ですが、そこは七賢人の一人であるターレスの出生の地でありました。その弟子にアナクサマンダーがおり
まして、さらに、アナクサマンダーの弟子にアナキシメネスがいました。ストラボン は、このミレトスについて、こんなことを書いています。ミレトス
には、四つの港ガあり、その一 つには船団全部を停泊させることのできる大きな港でありましたと。写真1は、そのミレトスの港です。使徒を乗
せました船は、 港の近くにライ オンの記念碑があることから、ライオン湾と名付けられていましたその湾に、 停泊いたしました。わたしたちは、
二個所で発掘されたライオン像を探しあてました。その一 つは、 写真2のように、風化しましてしょぼくれたものになっています。また胴体と尻
尾とが別々になっています。もう一つが、 写真3 です。また 写真4 は、ミレトスの街を展望したものです。写真5、6は、ポンペイウスが海賊と
の戦いに勝ち、それを祝ってたてられたものの想像図と、その説明です。写真7、8、9は、泉の家の遺跡と、その想像図と、その説明です。写
真10、11は、それぞれ浴場の跡であり、10の方は、熱湯です。写真12は、神殿、写真13、14、15は、劇場、写真16は、列柱街道です。
さて、現在、ベルリンのペルガモン博物館に移されていますここミレトスの市場の門が、写真17、18、19です。
また、ここにはシナゴーグが存在していました。そこで集まりがもたれていた のです。パウロは、エフェソに滞在していましたときに、ミレトス
からやってきました人たちに福 音の宣教をしました。そこで、その人たちがミレトスに帰ってきまして集まりをもっていたので しょう。彼はエルサ
レムに急いで行かなければなりませんでしたので、エフェソには寄りません でした。もしも、寄っていたならば、多くの友人に出会い、しかもい
ろいろな問題に巻き込ま れることが目に見えていたのでしょう。それとも、トロアスで経験したような愁嘆場を繰り返 したくなかったのかも知れ
ません。あるいは、彼は自分の敵に会うかも知れませんでした。そ のようなことを避けようとしたのです。けれども、ミレトスでも敵に会う危険は
ありました。彼 に敵意を抱くユダヤ人たちがいたからです。そこで、彼は密かに会うために、エフェソの長老た ちを、街の郊外の静かなところに
呼び寄せました。この物語りは、使徒言行録における最も感動的なエピソードです。彼は、長老たちに涙と試練と投獄とを経験させられました
エフェソでの ユダヤ人の妨害のことを思い起こさせています。今、これから起こってきます多くの災難のこ とを考えながら、彼はその宣教の頂
点としてのエルサレムに行くことの途上にありました。彼 はエペソでの異教のことや、分派がつくられことの危険について心配して、長老たち
に警戒す るようにと忠告しまして、彼らを神さまの御手に委ねたのです。長老たちは、再び使徒に会う ことはないということを知り泣きました。
彼らは使徒を船にまで連れていき、最後の訣別をしました。