8. コスからロドスへ
いよいよ、カイサリアに向けまして出発することになりました。パウロたちは 、終日航海しまして、コスの島のコスという町に着きました。ここ
は、医学の父であるヒポク ラテスが教えたところでありました。医者のルカがそのことを知らないはずがございません。
船はコスをでまして、ロドスに着きました。 写真1は、ロドスに着こうとしているときのものです。着いたときが写真2です。写真3、4、5 は、ロ
ドスの港です。その港の入り口では、パウロは古代世界の七不思議の一つでありましたコロッサスの残骸を目にしたことでしょう。 写真6 はロ
ドスの考古学博物館であり、その中のいろいろな展示されているものを撮ってみました。それらが、 写真7、8、9、10です。写真7 は、床に描
かれました見事なモザイクです。ナチスの逆マンジの卍はここからとったのだそうです。 写真8 はその中にある教会の母子室です。写真11
は、ムッソリニーの邸宅であり、写真12は、フランスの騎士団の館です。鰐の樋が印象的です。
島の伝承によりますと、使徒は福音を伝えまして、多くの人を信仰に導いたと いうことです。パウロは、その島を去るにあたり七人の執事の
一人であるプロコロをその島の 監督に任命したということです。また言い伝えによりますと、その島の南東の海岸にあるリン ドスのアクロポリ
スの麓にある小さな港に着いて宣教したともいわれています。そこで、わた したちはリンドスに向かいました。 写真13 は、その途中にあるヌ
ーディスト・ビーチです。パウロに失礼にならないように、写真をとりました。リンドスに着きますと、 写真14 のように、岩の上に手芸品を並べま
して、お土産を売っています。 写真15 は十字軍時代の階段でして、わたしなどはこんな階段を上りさが下りするのが苦痛です。 写真16 は
像の立っていました土台石でして、上にありました像は、大英博物館か、ルーブルかにもってゆかれて しまったのだそうです。 写真17 は、修
理中の神殿です。 写真18、19、20 はパウロがそこに停泊したと伝えられていますリンドスのパウロ湾です。