讃美歌267(かみはわがやぐら)

X 難破の旅


図17 難破の旅地図

日本聖書協会「新共同訳聖書地図」なり作成


Tエルサレムへの帰還

1. カイサリアから神殿へ

 ペンテコステが間近に迫っていましたので、パウロとマケドニアとアジアから の仲間たちは、カイサリアからの人たちと共に、エルサレムに行

きました。ここで仲間と申し ますのは、前に述べた七人のことです。カイサリアから使徒たちは、ヤッファへと海岸沿いに旅 をいたしました。

真1 はヤッファの港の標識です。 写真2 は、ヤッファの丘です。写真3は、皮なめしのシモンの家です。そこから、リダを通りまして東に進み、

ゲゼルの古代のカナン人の植民地、デリラの住んでいましたソレクの谷、そしてキルヤト・エアリムを通りましてエルサレムに入りました。 それ

は五四年五月のことでございました。 エルサレムでは、マナソンという名前のキプロスの キリスト教徒の家に滞在する計画を立てました。マ

ナソンがどんな人であったかということに ついては分かりません。ルカ自身も何も触れていません。ひょっとしますと、イエスから直接 、信仰を

受け入れたのかも知れません。そして、パウロがキプロスに行ったときに回心し、そ のことによりパウロを知っていたとも考えられます。また、

彼はキプロスのユダヤ人の一人で あり、アンティオキアにやってきまして、使徒言行録十一章二十節にあるように、「ギリシア語を話す人々に

も語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた」のかも知れません。キプロスの言い伝えによりますと、キプロスのタマサスの主教になっ

たということです。

1. ヤッファの港へ

2.ヤッファの丘

3. 皮なめしシモンの家

  パウロの大きな目的は、集めました献金を、エルサレムの教会に引き渡すとい うことでありましたが、そのことにつきましては、ルカは何も

書いていません。おそらく、到着してから、ヤコブやその他のエルサレムの長老たちに出会いまして、コリントの信徒への手紙二  八章四

節にあるように、「聖なる者たちを助けるために」その献げ物を差し出したのだと思います。そうしている間に、彼は神さまが異邦人の間でなさ

ったことを話し、さらに彼の宣教を妨害しましたユダヤ主義の狂信者についての悩みのことを報告したのでしょう。

 けれども、ギリシアと小アジアでのユダヤ人の改宗者から、パウロはモーセの律法への服従を要求しなかったという報告が出回っていまし

た。そこで、エルサレム教会の長 老たちは、そのような状況からパウロを救おうと最後の努力をしました。それはどういうこと かと申しますと、

彼らは、使徒に公けにモーセの律法と神殿とに対して、それに忠実であるこ とを証明することを求めたのです。エルサレムを訪問します使徒の

主な目的は、エルサレムの 教会と、異邦人教会とを和解させるということにありましたから、パウロはそのことにすぐ同 意しました。長老たち

は、パウロに対して、ナジル人の清めの儀式におきまして、四人の他の ユダヤ人のキリスト教徒に加わり、このことにより生じました必要な費

用を支払うよう求めま した。パウロは、そのナジル人の儀式の費用をどこからだしたのでしょうか。あるいは、持っ てきました献金の一部をこの

目的のために使ったのではないでしょうか。ここで、ナジル人の 儀式と申しますのは、神さまに願い事のある者が、誓いをたてまして三十日の

間、頭の髪に剃 刀をあてず、酒とぶどうとを断って、その満期のときに剃髪し、これを感謝として神 さまに捧げる儀式のことです。そのことは、

民数記六章にでています。 

 パウロはこのユダヤ祭儀につきましての律法を執り行うことにより、彼に反対 しておりましたユダヤ人が彼の正統性を認めることを期待して

いました。また、長老たちは、 モーセの律法に対する裏切り者を歓迎したという非難から自分たちを守ることができると思い ました。ペンテコス

テの祭りには、属州からの多くのユダヤ人がやってきました。神殿の境内 は、巡礼者たちで一杯になりました。その面影を偲ぶことはできま

せんが、 写真4 はエルサレムの象徴としての黄金のドームです。もちろん、こんなものは、パウロの時代にはありま せんでした。 写真5 は、

その神殿の庭です。。また写真6 は婦人の庭です。また 写真7、8、9 は有名な嘆きの壁です。さて、その一杯になりました巡礼者たちの中

には、アジアからのユダヤ人もいました。使徒は、自分たちがユダヤ人の律法に 従って生きていることを証明しようとしました。けれども、その

ことを異邦人には要求しませんでした。このことは、すでに数年前のエルサレムの使徒会議で決定したことでありました。 さて、パウロとは、直

接には、結びつきませんが、もう少し、エルサレムについてみてみもしょう。ちょうど、わたしたちが参りましたときは、西の壁のトンネルが完成

し、ヴィア・ドロローサまで繋がりました。それを巡り、パレスチナ側とイスラエルとの紛争が起こっていましたが、解決し、トンネルを通ることが

できるようになりました。写真10、11は、そのトンネルの入り口と、その周辺です。写真12は、その案内のための地図です。写真13、14は、

トンネル内の状況です。写真15、16は、エルサレム神殿の丘であり、その丘を、開かずの黄金門も入れて展望したものです。

4. 黄金のドーム

5. エルサレム神殿の庭

6. 婦人の庭

7. 嘆きの壁1

8. 嘆きの壁2

9. 嘆きの壁3

10.西の壁のトンネル入り口

11.その周辺

12.地図

13.トンネル内1

14.トンネル内2

15.エルサレム神殿の丘

16.エルサレムを展望