5. エルサレム神殿
図18、19 は、エルサレム神殿とその内部とです。パウロの当時問題になりましたエルサ レム神殿は、ヘロデ大王により建造されたもので
す。豪華な都市カイサリアを建 築しましたのも彼でした。エルサレム神殿はユダヤ人向けに、カイザリヤはアウグストゥス皇 帝向けに造りまし
た。エルサレム神殿には、その境内の北西の隅に、アントニア要塞を築き、ローマの軍隊が監視しました。ヘロデ大王は、前の神殿の設計に
基づき再建いたしました。け れども、彼は黄金のファサードを倍にして、入り口を広げました。彼はまた、神殿の丘を支え の壁によりまして持ち
堪えられるように、大きな台で覆いました。現在、嘆きの壁として知ら れています西の壁の一部は、ユダヤ人により、過去二千年にわたり、彼
らの最も神聖な場所と しまして尊ばれてきたものです。神殿内部は、外庭、それは異邦人の庭のことですが、その外 庭により囲まれていま
す。それからさらに、全体を取り巻きます巨大な壁によりまして囲まれ ています。トロフィモのことで申し上げたとおり、異邦人はそれより内部
に入ることはできませ んでした。神殿の内部には、至聖所にはいります手前の四隅には、それぞれ部屋がありました 。これらの部屋の二つ
は、木材や油を貯蔵しておくために使われました。もう一つは、癩病患者の清めのためのものであり、最後の部屋はナジル人のために使用さ
れました。この部屋には 金庫もあったようです。そこから、ニカノル門を入りまして、婦人の庭から、半円状のずっと 続いています階段を通りま
して、イスラエルの庭にゆくことができます。そのイスラエルの庭 は、低い手すりにより、祭司の庭と区別されています。祭司の庭の中には、大
きな祭壇と、大 理石のテーブル、柱、かぎのついた屠殺のための場所があります。
祭壇は、玄関、聖所、至聖所に分けられています。広い玄関は、立派な刺繍の ついているベールにより聖所から分離されています。聖所に
は、供え物のパンのテーブルが置 かれています。その上には、メノラが飾られています。至聖所は、さらに聖所の奥にありまし てもう一つの別
のベールで分けられています。
この神殿の丘についてみてみましょう。写真1 はソロモンの回廊、 写真2は、ソロモン厩ですが、トンネル問題のために、今は回教徒の祈祷
所になりました。 写真3、4は神殿に入りますフルダ門の階段と半分壁に埋もれたフルダ門です。 写真5、6 は、神殿に入るための清めのミク
ベです。写真7、8、9は、ロビンソン・アーチです。古い住居跡があり、それが写真10です。つぎに、エルサレムの主要な門中心にみてみまし
ょう。まず、写真11、12は、ダマスカス門です。そこを入ったところの市場が、写真13、14です。つぎは、ヤッファ門とダビデの塔が、写真1
5、16です。そこには、すぐ傍にヘロデの宮殿跡があります。それが、写真17です。そこから、シオン門に続く城壁の道が、写真18、19であ
り、写真20は、シオン門です。ついで、写真21は、糞門です。それから、最後に、写真22の閉ざされています黄金門です。この写真はゲッセ
マネマの園から撮った ものです。