讃美歌330(あめなるわがやを)

U カイサリアでの留置

1. カイサリア

 紀元前二二年から一〇年、あるいは九年の長い期間をかけて、ヘロデ大王は新 しい都市と港とを建設しました。その都市は、アウグストゥ

ス皇帝を称えまして、カイサリア と名付けられました。その港は、ギリシアのピレウス港よりも大きかったのです。そこには、 皇帝の巨大な像と

女神ローマの像が飾られまして、劇場、円形競技場、その他の公共の建物が 造られました。ヘロデ・アグリッパ一世は、エルサレムに居を定

めまして、ユダヤ人と仲良く しようとしました。ところが、彼がカイサリア劇場に現れまして、人々が神と叫んだ途端に死 んだというよく知られた

話しがあります。 

  このカイサリアは、ユダヤ教とキリスト教の学問のセンターでありました。と くに偉大なキリスト教の学者でありましたオリゲネスやエウセビ

オスが住んだところです。

2. カイサリアへの護送

 パウロは議会での取り調べがありましてから、アントニアの要塞に留置されま した。その夜、主の幻を見ました。主はパウロの傍らに立たれ

まして、使徒言行録第二十三章第十一節には、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも 証しををしなけ

ればならない」と言われたと書かれてあります。朝になりまして、四十人以上のユダヤ人の狂信者たちが、使徒を殺害するまでは飲み食いし

ないという誓いを立てました 。彼らはパウロを、議会にもう一度喚問するように要求しました。彼らは、パウロが喚問に応 じてアントニアの要塞

を出ましたときに殺そうという計画を立てました。ところが、パウロの 姉妹の子の甥が、そのことを兵営に入ってきてパウロに知らせました。そ

こで、パウロは百人隊長の一人を呼び、その甥をクラウディウス・リシアのところに連れていくように頼みました 。その若者は、ルシヤにユダヤ

人の陰謀のことについて説明したのです。リシアは、その話を 聞きまして、二人の百人隊長を呼び付けまして、彼らに今夜九時に出発できる

ように、歩兵二 百人、騎兵七十人、補助兵二百人を準備するように命じたのです。このようにしまして、パウ ロはカイサリアのユダヤの総督ペ

リクスのところに護送されました。 

  リシアはフェリクスに簡単な手紙を書き、その状況を説明しました。その中には 、パウロに対してなされましたユダヤ人の告発は当をえたも

のではなくて、パウロはローマの 法律を破ったことにはならないというリシアの意見が述べられてありました。そして、パウロ を非難しますユダ

ヤ人たちが、その総督にその理由を述べるようにと命じました。

1. アラブの隊商宿1

2. アラブの隊商宿2

3.アラブの隊商宿3

4.アラブの隊商宿4

5. .アロエの花

6. 十字軍の要塞1

7.十字軍の要塞2


 このようにして、パウロを護送します軍隊は、カイサリアへの道の全部の三分 の一位のところにあるアンティパトリスの新しい駐屯地に向か

い、夜中に旅をいたしました。 写真1、2、3、4はアンティパトリスのアラブの隊商宿です。このアンティパトリスは、ヘロデ大 王が父を記念して

造ったものです。今は、アラブの隊商宿の遺跡として、その昔を偲ぶこと ができるだけになってしまっています。 写真5 はアンティパトリスの路

傍で咲いていましたアロエの花です。また写真6、7 はアンティパトリスの十字軍の要塞です。車を降りまして、この十字軍の要塞に歩いてい

ったのですが、車の中に日本円ですが現金をおいてきました。それ がなくなっていることに後から気付きました。どうも帰りしなにバイバイと手

を振って挨拶してくれていました作業をしていたアラブの小父さんが犯人らしうございました。現金を車にお いておくというようなことは、なさい

ませんように。

 そのアンティパトリスから、もう必要がなくなりましたので、歩兵の部隊はエル サレムに戻りました。翌日、パウロとその護衛は引き続いてカ

イサリアへと旅を続け到着しま した。そこで、ローマの総督に手紙と囚人とが引き渡されました。総督はパウロがキリキア出 身であるというこ

とが分かりまして、ヘロデの宮殿の牢に宿泊させました。