讃美歌515(十字架のちに)

4. クレタ到着

 このようにして、船はエーゲ海を吹き降ろします北風を避けるために、クレタ の南に向けて航行しまして、とうとうラサヤの町の近くのヘヤー・

ヘイブン、良い港に着きま した。それは、五六年一〇月の第一週の終わりのころでした。到着が遅れましたのは、天候状 態のためであったと

思われます。そこで、天候の回復を待ちまして、約三週間停泊いたしまし た。写真1 はラサヤの海岸です。 わたしたちはラサヤの海岸から、

良い港に向かいました。その 途中の写真が 写真2 です。北のイラクリオンからバスできましたが、それまでは舗装されました普通の自動車

道路でしたが、ラサヤからは、舗装されていないガードレール の無い坂道を走りまして、ちよっと危険を感じました。ここらあたりからエウラキロ

ンが吹い てきたと思います。 写真3、4、5 はヘヤー・ヘイブン、良い港です。 

  クレタへの使徒の到着を記念します小さな白い教会が、湾を眺望することので きます丘の頂上にあります。クレタの人たちは、使徒の伝道

活動についての多くの言い伝えを もっています。たとえば、パウロが毒をもった蛇からクレタの人を救ったと言われています。 浜辺で火を焚い

ているときに、使徒パウロは蛇に噛まれました。けれども、それは猛烈な有毒 な蛇でありましたのに、使徒は何ともありませんでした。

そのとき以来、クレタに棲んでいま す蛇は、すべてパウロにり鎮められまして、無害になったというのです。

1. ラサヤの海岸

2. ヘヤー・ヘイブン(良い港)へ

3. ヘヤー・ヘイブン(良い港)1

4.ヘヤー・ヘイブン(良い港)2

5.ヘヤー・ヘイブン(良い港)3

6.フェニクス湾

Meinardus, Otto F.A."St.Paul's Last Journey,"p.72.より転載

 良い港に滞在している間に、パウロはその船の持ち主と船長に会いまして、旅 を続けることの危険につき、自らの経験に基づき忠告しまし

た。彼は船で三回、難破を経験し ていました。また、少なくとも一度は外海で二十四時間漂流しました。九月の終わりか、十月 の初めの断食

をする年に一回の大贖罪日はすでに過ぎていました。今はもう、航海は秋の嵐の ために危険でありました。けれども、船長と船の持ち主は、も

っとよい港を探そうとしました 。そこで、百人隊長は、使徒よりも彼らのもっとよいフェニクスという港があるという勧めを 受け入れたのです。現

在、ロウトロという名に変わっていますが、当時は聖書にあるように、 フェニクスですが、そこは数キロ西にありました。写真6は、そのフェニック

ス湾です。どうしてそうまでして、出港しようとしたのでしょうか。そのような危険な時 期に、あえて船を出すのには、理由は二つしかありませ

ん。それは、海賊と貪欲ということで す。海賊といいますのは、海賊は冬でもあえて航海する大胆さを持ち合わせているということ なのか、冬

は海賊もいないからあえて出てゆこうとするのか、そのどちらであるか分かりません。けれども、貪欲ということになりますとはっきりしていま

す。春、少しでも早くイタリア に着けば、積んでいる小麦を高く売ることができるのです。