讃美歌527(わがよろこびわがのぞみ)

図22.マルタ島

8. マルタ島に漂着

 パウロたちが着きましたマルタ島は、南東から北西にかけまして、長さ二十八 キロ、幅が十五キロの小さな島です。一世紀には、マルタはシ

シリー州に属していました。パ ウロが上陸した言い伝えの地点であるパウロ湾は、マルタの北側の海岸にある三つの大きな湾 の一つです。

写真1、2、3 がそれです。 写真4 は、パウロたちが座礁した岩です。写真5は、一緒に旅行した仲間です。

1. パウロ湾1

2. パウロ湾2

3.パウロ湾3

4.パウロ湾4

5.仲間たち

 その湾の南西の平らな浜は、船員たちが船を着けようとした場所であり、入り 口の砂州は、船が座礁したところでありました。その砂州の西

には聖パウロの岩として知られ ていますいくつかの岩があります。その一番大きいものには、一八四五年に建てられましたパ ウロの像があり

ます。その島の人たちの話します言葉を、船乗りや囚人は理解することができ ませんでしたが、島の人たちは、彼らに対しまして非常に親切

でありました。島の人たちは、火を焚きまして、雨と寒さにずぶ濡れとなりまして、ぶるぶる震えていた難破した人たちを歓 迎しまして、暖を取

らせたのです。

 マルタの言い伝えによりますと、使徒がその島に上陸したときに、モーセがホ レブの山でやりましたように、岩を打ち、そこから水が流れ出た

ということです。パウロの島 と名付けられた島に面しています本土に、岩から流れでます小さな泉があります。 写真6、7がそれです。また、

写真8 のラテン語の碑文があります。

6.使徒の泉1

7. 使徒の泉2

8. ラテン語碑文

  難破のニュースは、すぐに島中に広がりました。島の人たちは、見知らぬ人た ちに暖を取らせるために、燃料をもって集まりました。パウロ

が杖を火の中に投げ入れますと 、蝮がでてきまして、その手に噛み付きました。迷信にとらわれていた島の人たちは、お互い に話しをしまし

た。使徒言行録二十八章四節にあるように、「この人はきっと人殺しにちがいない。海では助かったが、『 正義の女神』はこの人を生かし

ておかないのだ」と申しました。けれども、パウロは蛇を火に投げ込みまして、何の害も受けませんでした。島の人たち は、彼に何も起こらない

のを見て、その気持ちが変わり、使徒を神さまとしました。パウロは 、リストラでやりましたように、自分への礼拝を断りました。マルタの島に、

蛇が棲んでいる という証拠はございません。島の言い伝えによりますと、それはパウロが難破して上陸したこ とにより生じました奇跡であると

しているのです。  写真9、10、11 はヴァレッタの街にあるパウロの難破教会です。また 写真12 は、路傍にありましたキリストの十字架

の形をしました木です。

 三日間、使徒とルカは、その島の首長であるポプリオの客となりました。その 称号は、πρτοσでありました。マルタで発見されました昔

の碑文は、この称号がその島の 共通なものであったことを確証しています。けれども、ポプリオがその土地の出の高官であっ たか、それとも

マルタに駐屯していましたローマの代表であったのか知られておりません。このポプリオは使徒の導きの下に、信仰に入りました。

9. パウロの難破教会1

10.パウロの難破教会2

11. パウロの難破教会3

12. キリストの十字架