9.滞在
使徒たちは、三ヶ月間マルタの島で過ごしました。その間、島の人たちに対し ましてできることをしました。パウロのカリスマ的癒しの賜物
と、ルカの医療の術は、すぐに 役立ちました。ププリウスのお父さんは、熱病と赤痢にかかって床についていました。使徒は祈 り、その手を彼
に差し伸べますと、病人は快復しました。この奇跡の話しを聞きまして、他の 病人もやってきまして、その病が癒されました。使徒たちが出発
するときには、島の人たちは これらの予期しなかった祝福に感謝しまして、使徒たちの船に食料を積みこんだのです。このププリウスのお父さ
んの病気をなおしたのは、その領地であった今の聖パウ ロ歓迎の教会のあるところだとする伝承があります。 写真1 がそれです。
ラバットにある 写真2 のような聖パウロ教会、現在は博物館になっていますが、その下にある大きな地下洞窟は、その島で三ヶ月間、使徒
たちが滞在していた場所 であると伝えられています。写真3は、その標識であり、そこには、 写真4、5 のような使徒パウロの像があります。
洞窟にあるラテン語の碑文を翻訳しますと、つぎのようになります。
『あなたたちの見る地下室は、わたしたちにとって幸いなことに、難破してこ の島に打ち上げられた教父にして、異邦人の使徒であったパウロ
が、避難して助かったところ である。このために、この洞窟は偉大な人の輝かしい徳によって豊かにされ、世界に素晴らし さをもたらした。この
善き業をなした教父の記憶が消え失せないように、石が毎日そこから切 り出されても少しもなくならないのである。』
写真6、7 は、パウロがナクサールの郊外の丘にある聖パウロ・タト−ターガ教会と、そこにあるパウロ像です。使徒が説教をしました。その
声があまりにも、雄 弁であったために、ゴゾ島まで聞こえたということです。また、写真8、9 は、ポプリオの宮殿のあったところに建てられたミ
ディナの大聖堂です。
ここマルタでは、思い掛けないハプニングがありました。それは、ちょうと゜わたしたちが゜行く日が大統領選挙のために、予約していたガイド
さんが駄目になったというのです。まさか大統領選挙が数日てきまるはずはないので、旅行代理店に苦情をいったのですが、二週間前に決ま
ったというのです。旅行の途中でどうにもなりません。ところが、あらかじめ佐藤聖子さんというインストラクターがおられるということをインターネ
ットで知っていました。そこで、旅行代理店を通して、お願いしていただきましたら、ご本人が案内してやろうということになりまして、大変をお世
話になりました。写真10、11は、その佐藤聖子さんと、クリケット夫婦と、わたしたちの写真です。クリケット夫婦のご家庭で、お茶をいただい
たときのものです。