2. シラクサ
二回目には、車でメッシナの町からカターニヤを通ってこのシラクサに行きま した。シラクサは、古代にありましてはシチリアの一番重要な町
でした。実際、アテネやカル タゴに対抗するものでありました。昔、紀元前七三四年にギリシアからやってきました移住民 が、先住民に代わっ
てその植民地を建設しました。その歴史の流れの中におきまして、シラクサはカルタゴやアテネとの戦争に巻き込まれ、何人もの暴君の犠牲
になりました。最後には 、紀元前二一二年にローマによりまして攻略されました。そのとき、アルキメデスが、太 陽光線を焦点にあてますレン
ズを作り出して、大いにローマの軍船を苦しめたということです 。
このシラクサの考古学地区には、ギリシア・ローマ時代の遺跡が数多くありま す。まず、 写真1 に示されている紀元前五世紀に石を積み上
げたのではなく、切り出して造られ た古代のギリシア劇場があります。また、その劇場の背後には、ローマ時代の墳墓 が沢山あります。 写
真2 がそれです。音の反響よいために、政治犯などを留置するのに使われた洞窟がありディオニソスの耳といわれます。 写真3 はそこに 行く
道です。それから、 写真4
はギリシアの石棺、 写真5 はローマ劇場です。
さて、パウロのことに移りたいと思います。まず、ここには 写真6 の聖ヨハネ大聖堂があります。そこには、一番広く重要な、サン・ギィオバ
の地下墓地がありま す。それが造られましたのは、四世紀から六世紀のことです。けれども、そ の入り口の近くの地下室は、一世紀の頃のも
のです。そこに初代キリスト教会があったのでしょう。おそらく、ここがパウロが説教したところであったとされています。紀元三九年に、使徒ペト
ロは、その 弟子のマルカナスを伝道のために、シリアのアンティオケアからシラクサに送りました。マルカナスは、紀元六八年にそこで殉教し
たのもこの場所であったとされています。 写真7 は、そのパウロの洞窟の入り口です。
ローマのような観光の大都市では、タクシーに乗ると、わずか歩いて五分しか かからないようなところでも、旅行者の無知に乗じてということ
で、五千円もとられてしまい ました。地方にゆきますと、タクシーの運転手さんは、大変親切で料金も良心的です。シラク サでは、ゴッド・ファー
ザーならぬ、ゴッド・マザーもどきの堂々とした女性運転手さんに、案内してもらいました 。その幾つかを紹介しましょう。 写真8 は、シラクサの
守護聖者である聖ルチアの教会です。彼女は、ディオクレティアヌスの迫害のときに殉教し、その聖遺物が地下の納骨所に 安置されていま
す。また、 写真9 は、アポロとアテナ神殿です。海辺のすぐ傍に、真水のでているアレトゥーザの泉に連れていってくれました。写真10 がそ
れです。その泉は、女神アルテミスに仕えていた妖精アレトゥーザは、川の神アルフェイオスの求愛から 逃れるために、女神の力で泉に姿を
変え、地下水となってここまで逃げてきたということです 。
写真11は船から遠く眺めましたシラクサです。また 写真12 はカタニヤの街です。