讃美歌148(すくいのぬしは)

5. アッピア街道

 七日の滞在の後、ユリアスとその囚人たちは、お墓の並んでいますカウンスラ ー・ウエイを歩きました。その道は、ポテオリとキャプアを結ぶ

ものでありまして、「道の女 王」といわれますアッピア街道を歩きました。さらに、キャプアからローマまでは、普通の旅行者であれば、五日か

六日位の旅でありました。その道路は、車でいったりきたりすることが できるように十分広くしてありました。やや離れたところにある石切り場

からの石を巧みに組みあわせて造られたものです。途中、デセノビウム運河があります。それは、約三十二キロ、 大阪と神戸との間くらいに渡

って続いています。この運河は、アウグストゥスがポンティンの 湿地の排水のために、アッピア街道に並行に造ったものです。そこで、アピオ・

ポロまで、そ のままアッピア街道を歩くか、それとも、ラバに引かれて走る舟に乗って進むこともできまし た。パウロたちはどちらを旅したので

しょうか。 写真1、2、3、4、5 は、そのアッピア街道をいろいろな角度から撮ったものです。ローマから逃げだそうとしたペトロ は、キリストに会

いました。「主よ、あなたはどこにいらっしゃるのですか」というペテロの問いに対して、キリストは、「あなたが逃げるのならわたしはもう一度十

字架にかかるために ローマに行く」という声にうながされて、くびすを返し、逆十字架にかかり殉教しました。パウ ロは、この石畳の上を歩い

て、ローマに入り、殉教しました。このアッピア街道の石畳は、今 もなおわたしたちに信仰に生きるということは、どういうことなのか、問いかけ

てやみません 。 写真6、7 は、途中にありました使徒パウロの教会の表示と、教会とです。写真8、9は、このアッピア街道に残る里程標で

す。そこに記録されているローマ皇帝の 名前を読み取ることにより、その道が何時ごろできたのか分かります。

1. アッピア街道1

2. アッピア街道2

3. アッピア街道3

4 .アッピア街道4

5.アッピア街道5

6.使徒パウロの教会1

7.使徒パウロの教会2

8. 里程標 1

9.里程標2