5. アッピア街道
七日の滞在の後、ユリアスとその囚人たちは、お墓の並んでいますカウンスラ ー・ウエイを歩きました。その道は、ポテオリとキャプアを結ぶ
ものでありまして、「道の女 王」といわれますアッピア街道を歩きました。さらに、キャプアからローマまでは、普通の旅行者であれば、五日か
六日位の旅でありました。その道路は、車でいったりきたりすることが できるように十分広くしてありました。やや離れたところにある石切り場
からの石を巧みに組みあわせて造られたものです。途中、デセノビウム運河があります。それは、約三十二キロ、 大阪と神戸との間くらいに渡
って続いています。この運河は、アウグストゥスがポンティンの 湿地の排水のために、アッピア街道に並行に造ったものです。そこで、アピオ・
ポロまで、そ のままアッピア街道を歩くか、それとも、ラバに引かれて走る舟に乗って進むこともできまし た。パウロたちはどちらを旅したので
しょうか。 写真1、2、3、4、5 は、そのアッピア街道をいろいろな角度から撮ったものです。ローマから逃げだそうとしたペトロ は、キリストに会
いました。「主よ、あなたはどこにいらっしゃるのですか」というペテロの問いに対して、キリストは、「あなたが逃げるのならわたしはもう一度十
字架にかかるために ローマに行く」という声にうながされて、くびすを返し、逆十字架にかかり殉教しました。パウ ロは、この石畳の上を歩い
て、ローマに入り、殉教しました。このアッピア街道の石畳は、今 もなおわたしたちに信仰に生きるということは、どういうことなのか、問いかけ
てやみません 。 写真6、7 は、途中にありました使徒パウロの教会の表示と、教会とです。写真8、9は、このアッピア街道に残る里程標で
す。そこに記録されているローマ皇帝の 名前を読み取ることにより、その道が何時ごろできたのか分かります。