使徒パウロの旅
(The Apostle Paul's Journey) 山中均之、朋子
讃美歌502(いともかしこし)


1.ピレウス港で

 使徒パウロの旅というテーマで、わたしたちはここ十数年にわたって旅行をし てまいりましたが、その折撮りました写真をてがかりにし

ながら、お話しをしてまいります。 ここにでております 写真1は、わたしたちがアテネのピレウス港に着いたときのものです。

 ある新聞に、司馬遼太郎さんが、熊本のミッション・スクールで学び、京都の留学生会館のお世話を半生にわたりされた、ミセス・小林

という方のことを紹介しておられま した。それによりますと、彼女は、流麗典雅な文語訳の聖書を読んで、日本語の美しさにうたれ、国語

学を専攻されましたが、伝道者パウロが、キリストの十字架の死のわずか数年後に、 突如回心して、異邦人に福音を伝えるために、シ

リアに行き、何度もエーゲ海沿岸ヘ行くくだ りになると、必ず涙を流されたということです。

 わたしたちは、長年の念願であった使徒パウロの足跡を訪ねまして、くまなく 訪ねたとはいえませんが、おおよそ、その歩みを辿ること

ができました。パウロの歩みを辿り 、涙を流しながら足を運び、足を運びつつ、涙しました。パウロが旅したと普通にいわれてい ますとこ

ろを、地図ではかると、その距離は二万キロを越えています。東京と博多との間が、 約千キロですから、往復で二千キロということになり

ますので、パウロは東京と博多の間を十回往復したことになります。

 当時は、アレクサンドロス大王の東方遠征があり、ギリシア語が共通の言葉にな っていたので、言葉の障害はある程度除かれていた

と思います。また、ローマ帝国は、西と東 を旅することのできる道路を造りましたので、交通の障害も除かれていたと思います。今の時

代にくらべまして、当時の方が障害は少なかったではないかと思うくらいです。と申します のは、現在パウロの旅行したところを辿ろうと

しますと、沢山の国があり、パスポートを用意し、出国、入国の手続きをしなければなりません。シリアとイスラエルになりますと、戦争状

態が続いておりますから、イスラエルに入国したという証拠がパスポートにあるだけで、シリ アには入国できません。トランクにイスラエル

のホテルのラベルがあるだけでも駄目です。た とえば、ローマの時代に旅をする人たちは、パレスチナや小アジアで見たと同じ道路案内

であ る里程標を、イタリアでも、スペインでも、イギリスでも見たのです。その点、国境と言語で 分断されている今の世界では、とても考

えられません。とはいっても、国境こそありませんでしたが、言語も交通も情報も、今とは比較を絶して不便でした。パウロは、コリントの

信徒への手紙二の中で、つぎのように書いています。「鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。

一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、海上の難、偽の兄弟たちから の難に逢い、苦労し、骨折って、しばしば

眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり 、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」ここに書かれています川の難一つをとって

みても、橋がないと、渡し舟か、泳いで渡るか、迂回するかしかありません。皇帝でさえも、地方に行ったときに、川に来て橋がなけれ

ば、対岸まで皮袋にすがって泳いだと言われています。 皇帝ですらそうですから、使徒たちの苦労は大変なものであったのでしょう。

 このような想像を絶するさまざまな障害を乗り越えて、宣教していったパウロ は、その目的はただ一つ、イエス・キリストは自分にとって

唯一の救い主であり、ユダヤ人、 異邦人という相違を超えてすべての人の救い主であるということを宣べ伝えることでした。昔 から、パ

ウロとイエスとの関係については、さまざまな考えがありました。しかし、パウロは イエスの弟子として、その教えを伝えたのではありま

せん。その教えの実行を可能にする贖い主としてのキリストを伝えたのです。聖書の新約の中で、福音書よりも前に、最初に書かれま し

たパウロの手紙は、このことを述べています。これがキリスト教の救いということであり、 キリスト教信仰の核心です。

さて、以下に示されている順序で、使徒パウロの旅の跡を辿ります。ここでの仮名づかいは、原則として、教文館「旧約、新約聖書大事

典」1989によったものです。ただし、聖書 の引用について は、新共同訳聖書により、その個所は斜字体とし、他と区別をしました。

むすび

 この「使徒パウロの旅」の作成にあたり、内外を問わず、数限りない方々のお世話になりました。その中でも、熱烈な支持とお励ましの

言葉は、何よりも勇気を与えられ 感謝の一語に尽きます。とりわけ、関谷定夫先生には聖書考古学というご専門の立場から、いろいろ

貴重なご 示唆をいいただきました。 写真はわたしたちの撮ったものです。可能なかぎり正確さを期しておりますが、間違いがあるかも知

れません。ご指摘ください。なお、イラストについては、キリスト新聞社の転載の許可をえました。また、讃美歌も、ご好意により中に入れ

ることができるようになりました。

 なお、わたしたちの撮った写真以外のものも、特別のご好意をえて掲載しております。それらは、以下のものです。

http://www.PHOTO-LUMIERE.co.jp/

http://www.BiblePlaces.com/

 ご覧になられご感想やご意見をいただければ幸甚です。他の興味のある方にご紹介いただけ れば、なお幸甚です。さらに、充実した

ものにしたいと願っております。

 また、パワー・ポイントによるスライドの映写会も始めました。

 多くの方々のお勧めがあり、著書としてまとめました。キリスト教関係の書店、あるいは、直接、出版社でお求めください。

      書名 「使徒パウロの旅」

      出版社 新世社 (〒460-0002 名古屋市中区丸の内3-6-43 みこころセンター)

      пi052)971-3556 Fax(052)971-3557

      定価 3,200(本体)

 なお、下記のE-mailに、お申し込みくだされば、お送りいたします。書籍が到着してから、送金(3,700円送料込み)してください。

                     E-mail hitosh-y@dol.hi-ho.ne.jp/
                 

(2004年3月24日)

日本基督教団伊丹教会
山中均之(甲南大学名誉教授)、山中朋子