2011年6月5日 20110605

30年前に新聞の協力を得て一度でも県議会議員になっていれば、今100%の確率で本物の総理大臣になっていたであろう。埼玉県知事立候補宣言

=各地域政党代表殿

内田満早稲田大学教授によれば、一票一万円の金を出すのが、ゼネコンであったのか、東京電力であったのかということだけの違いであり、日本独自の金権政治は戦後の55年体制では同じ体質であった。これは現実性を見てきた私は実証的に証明してきた。大本営発表の超国家主義であった。大本営発表から逃れられるであろうか。

民主党も、自由民主党も人として責任をとらないで連立と言っている。

中国共産党に影響されて日本共産党は脱原発と知事選挙では言えないであろう。

本当の事実のマニュフェストとは記者会見で発表したその時点での緊急の政治であるマニュアルで書かれたもののみです。本物の総理大臣とは政治学を古典から学んだそのような人のみが可能です。オバマ氏にそのようになってもらいたい。それが私のオバマ讃歌であり、毎日デイリー読売を読んでやって即興で訳してやって日本人に世界から福島県知事がどのようにみられているのかを演説している理由です。

しかし私は埼玉県の知事選挙の記者会見ではちゃんといったのに、書かなかった新聞もあった。それがこれまで普通の人を、詐欺師やペテン師でも政治家として全新聞はマルクスレーニン主義であったので大きく見えるようにしてきたのです。それは政治家ではない人を政治家としてきたのです。本当の政治家とは私のような人のみを言うのです。
今回の訴訟は福島原発事件を福島県知事や福島県選出の衆議院議員の渡邉恒三氏や、渡邉氏やらの責任はあるのかという問題です。
毎日本当のことを付け加えていきます。

私が福島県産の豚肉をちゃんと豚カツにして焼いて食べても腹痛と、下痢それもひどい下痢をした。
友人は3月22日に胃ガンとなった。
私の母親は誰も親戚中なっていないのに、胃ガンになった。私の高校二年、弟が中学二年、二人の姉が二十三歳、二十歳のときであった。
1967年のことである。1964年の中国の地上核実験のときに胃ガンになったものと思う。1966年に発見されたときには遅かった。新聞は当時胃ガンが増えたのはしょっぱいものを日本人が食べ続けたからだと言っていた。これは嘘であったであろう。ガンの原因は放射能汚染である。
放射能汚染予測はノルウェーやドイツのようにやめるという日本の政府に損害賠償請求をさいたま地方裁判所に事件として提訴中である。
問い合わせれば事実と分かる。

以下に記者諸君に埼玉県知事選挙に立候補宣言をしたときの本文をマニュアルで書かれたものをワープロ化したものを載せる。
「当該文章はまだワープロ化していないので、どうしても必要な方は問い合わせられたい」

脱原発と知事選挙

学問は言葉である。金ではない。
これまでは言語学ではなく、「原発」から莫大な裏金をもらっているかどうかが、風評であった。
脱原発と知事選挙の記者会見ではいった、のに、読売新聞は書いていない。

私が行ないたい政治は、一般利益が原発という特殊利益に勝つ政治であり、一般利益を追求する一般人に広く呼びかける政治である。

福島原発後の都市計画
(都市計画)
 チェルノブイリ事故後には新しい町が作られた。これは当時のソ連共産党であるからできたことであろう。上海では中国共産党が都市計画を担当していたのをみてきた。大規模に都市計画を実行したのが四川大地震後の都市づくりであったという報道がNHKによって5月6日になされている。
 これができるかは、所有権という所有者個人に権限を持たせるのと、大規模に都市計画を行うのに、国が情報隠しをせずに全体を管理する方が効率的かの判断にかかっている。
 結局は共産党が行ったことが非効率であり、共産党がソ連では違法化されてしまった。
 共産党と自由民主党という概念から離れて、もっともよい方法がとれないか。

 その方法論はコンピューターを駆使して、みんなに効率のよい都市をいかに計算しうるのか、そしてみんなに納得させて、実行に移せるのかという方法にかかっている。

これまでは石原氏に日本はゼネコンと東京電力の力によっているのだから、危機をあおるなという理論で迫ってきた。
そう言ってお金を投票者に一人一万円ばらまいて金権政治を行なってきた。
その機能は圧力政治である.
政治過程はそれによって決定されるという現実を見れば、学者にはなれないのか。いやなれる。
一回でも私が東京大学経済学部と一橋大学商学部卒業をしていて、政治家になっていれば、今国際的に平和な総理大臣として認められていたであろう。

(情報隠しについて)

世界中では日本独自の大本営発表の超国家主義の時代から続いている江戸時代の尊皇攘夷以前の鎖国の時代の特殊な感情であるところの超国家主義は捨て去るべきである。今福島原発事件とともに海外から褒められていると読売新聞と朝日新聞は報道しているが揶揄されている。
それが今回私が埼玉県知事にならなければならない理由であろう。マニュフェストの崩壊も同様の理由による。

(マニフェストについて)
民主政治は民主党によって推進されるべきであろう。
民主党はマニフェストによって失敗した。

(都市計画)
首都の移転。

皇統を絶やさないためにも、天皇に白血病や甲状腺ガンを起こさせないためにも皇居を京都に移すことは必須である。理由は以下の通り。

防災システム研究所     東南海地震、南海地震で7400人以上が死亡する可能性がある

防災講演会 ハイチ大地震 災害現地調査 スマトラ沖地震 稲むらの火 奥尻島の悲劇 阪神大震災 東海地震

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東海道、南海道の地震

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 東海道、南海道の地域は過去100年〜200年周期で繰り返しマグニチュード8クラスの巨大地震が襲来し、震災と津波災害に見舞われその都度大きな被害を出してきました。
 日本列島は四つのプレートがせめぎあう世界有数の地震国です。中でもユーラシアプレートとフィリッピン海プレートの接点である駿河トラフ、南海トラフ周辺では、東海道側で巨大地震が発生すると、その短時間後には南海道側でも巨大地震が発生する特徴があります。
 連続巨大地震が発生した場合、救援物資、救助隊が迅速に被災地に入ることは困難であり、ライフラインなどの復旧活動は大幅に遅れると予想されます。
 そうした最悪をシュミレーションした地域防災計画が必要です。東海地震と東南海・南海j地震発生の切迫性が叫ばれている今日、単独地震発生に対する防災対策だけでなく、連続巨大地震発生に対応する市民の防災意識啓発と、実践的な防災対策が焦眉の急であると思われます。防災は「悲観的に準備をして、楽観的に行動する」ことが原則です。|山村武彦|
  
日本列島は真っ赤になって見えなくなるくらい地震が多発しています。世界有数の地震国と呼ばれる所以です。

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 日本列島や北米及び中南米の太平洋岸に沿って発生する巨大地震は、太平洋の海底(プレート)が陸の下に沈み込んでいく運動(プレートテクトニクス運動)によって発生します。沈み込むとき、海底の岩盤が陸の地殻の先端を少しずつ引きずり込み(巻き込んで)、それがやがて変形してストレス(応力)が溜まり、遂には引きずり込まれた陸の端が一気に跳ね上がります。その時に巨大地震と津波が発生するのです。地震は岩盤に溜まったストレスが岩盤の破壊によって急激に解放される現象です。
 このような考え方から、環太平洋地震帯で発生する巨大地震の起こり方を調べた東京大学名誉教授力武常次先生は「地震予知論入門」の中で、南海道、東海道地域の巨大地震はほぼ117年(標準偏差35年)の平均繰り返し間隔で発生すると発表されています。他の学者はこの地区で発生する地震はもっと切迫しているとも言っています。
 これは過去の巨大地震の記録も裏付けています。1707年(宝永4年)宝永地震の147年後、1854年(安政元年)安政東海地震と、その32時間後に安政南海地震が発生しています。それから90年後の1944年(昭和19年)の東南海地震とその2年後の1946年(昭和21年)のいずれもマグニチュード8クラスの巨大地震が発生していることでも明らかです。
 海底で巨大地震が発生すると、津波も発生します。TUNAMIと言う言葉が国際語になるほど、海底で巨大地震が発生するたびに日本では甚大な津波被害に見舞われていますので、津波防災対策も大変重要です。
 また、プレートと連動し又は単独で内陸部でも活断層などの地震も発生しています。現状では活断層の地震はほとんど直前予知が不可能と言われています。いつどこで大規模地震が発生してもいいように今から準備が必要なのです。
この地域の発展は目覚しく、日本の経済の中心地となっています。東海道新幹線、東名高速道路をはじめ、有数の人、モノの交流・物流地域でもあります。この地域で連続巨大地震が発生したとしたら、想像を絶する大災害に発展すると懸念されます。国は大規模地震防災対策特別措置法、及び東南海・南海地震特別措置法などを制定し、地方自治体と共に防災対策を強化していますが、行政だけに頼るのでhなく、企業や市民の防災意識と防災度の向上が不可欠となっています。稲むらの火

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上は、推古天皇のころ、日本で初めて地震被害の記述が現れた「日本書紀」(江戸時代の活字本)東京国立博物館蔵

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東海道、南海道で発生した地震

地震発生 年月日 地震の規模 震源 地震の名称(被害概要)
416年8月23日(允恭5年7月14日) 不明 遠飛鳥宮付近 大和河内地震(日本書紀に地震とのみ記載、被害の記録はないが、わが国の歴史に現れた最初の地震)
684年11月29日(天武13年10月14日) M8.0 南海・東海道 白鳳の南海・東海地震(山崩れ、家屋、社寺の倒壊多数。津波の襲来後、土佐で船が多数沈没、田畑約12平方キロメートルが沈下し海となったと記録されている)
887年8月26日(仁和3年7月30日) M8〜8.5 五畿七道 仁和の南海・東海地震(京都で民家、官舎の倒壊による圧死者多数。特に摂津での被害が大きかった)
1096年12月17日(永長1年1月24日) M8〜8.5 畿内・東海道 永長の東海地震(皇居の大極殿に被害があり、東大寺の巨鐘が落下、近江の勢田橋が落ちた。津波により駿河で民家、社寺400余が流失)
1099年2月22日(康和1年1月24日) M8〜8.3 南海道・畿内 康和の南海地震(興福寺、摂津天王寺で被害があった。土佐で田畑1,000町余が海に沈んだ。津波によるものらしい)
1185年8月13日(文治1年7月9日) M7.4 近江・山城大和 文治の京都地震(京都の白河辺の被害が最も大きく、宇治橋が落ちた。社寺、家屋の倒壊で死者多数)9月まで余震続く)
1361年8月3日(正平16年6月24日) M8〜8.5 畿内・土佐阿波 正平の南海地震(摂津四天王寺の金堂が転倒し圧死者が出た。津波で摂津、阿波、土佐に被害があった。阿波の雪(由岐)湊で家屋1,700戸余が流失、60人余が流死)
1498年9月20日(明応7年8月25日) M8.2〜8.4 東海道全域 明応の東海地震(紀伊から房総にかけてと甲斐に大きな揺れがあった。津波の被害が大きく、伊勢大湊で家屋1000戸、溺死者5000人。伊勢志摩で溺死者10000人、静岡県志太郡で溺死者26000人などの被害)
1586年1月18日(天正13年11月29日) M7.8 畿内・東海北陸 天正の飛騨美濃近江地震(飛騨白川谷で大山が崩れ、民家300以上が埋没。死者多数。余震は翌年まで続いた)
1596年9月5日(慶長1年閏7月13日) M7.1 畿内 慶長の京都地震(三条から伏見で最も被害が大きく、伏見城天守閣大破、石垣が崩れ約500人が圧死。堺で600人以上が亡くなり、奈良、大阪、神戸でも被害があった。余震が翌年4月まで続く)
1605年2月3日(慶長9年12月16日) M7.9 東海南海西海 慶長の東海・南海地震(犬吠崎から九州までの太平洋沿岸に津波が来襲し、八丈島で死者57人、紀伊西岸広村で700戸流失、阿波宍喰で死者1500人、土佐甲ノ浦で死者350人、、室戸岬付近で400人以上が死んだ)
1662年6月16日(寛文2年5月1日) M7.6 山城駿河信濃 寛文の琵琶湖西岸地震(比良岳付近で被害が大きく、滋賀唐崎で田畑が湖中に没し、倒壊家屋1570、大溝では倒壊で1020戸以上、死者37人、彦根で倒壊家屋1000戸、死者30人以上、榎村で死者300人、戸川村で260人以上死亡、京都で倒壊家屋1000戸、死者200人以上の被害があった)
1707年10月28日(宝永4年10月4日) M8.4 5畿7道 宝永地震(死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。わが国最大級の地震)
1854年12月23日(安政元年11月4日) M8.4 中部、紀伊 安政の東海地震(死者2000人〜3000人余、倒壊及び焼失家屋3万戸余、津波多数発生)
1854年12月24日(安政元年11月5日) M8.4 近畿中南部 安政の南海地震(32時間前の安政東海地震と区別が明確でないが、死者は1000人余、串本では11mの津波)
1899年(明治32年)3月7日 M7.0 三重県南部 紀和地震(奈良、三重県南部、和歌山県南東部で被害)
1935年(昭和10年)7月11日 M6.4 静岡県中部 静岡地震(死者9人、倒壊家屋363戸、道路、鉄道に被害)
1944年(昭和19年)12月7日 M7.9 東海道沖 昭和の東南海地震(静岡、愛知、三重で甚大被害、死者行方不明1,223人、倒壊家屋17,599戸、流失家屋3,129戸、津波発生、地盤沈下あり)
1945年(昭和20年)1月13日 M6.8 愛知県南部 三河地震(死者2,306人、倒壊家屋7,221戸、深溝断層出現、津波発生、地震の規模の割りに被害甚大)
1946年(昭和21年)12月21日 M8.0 南海道沖 昭和の南海地震(中部以西で被害甚大、死者1,330人、倒壊家屋11,591戸、焼失家屋2,598戸、津波発生、地盤沈下あり)
1965年(昭和40年)4月20日 M6.1 静岡県中部 静岡地震(清水平野地域で被害甚大、死者2人、倒壊家屋9戸、清水港で27cm沈下)
2009年(平成21年)8月11日 M6.5 駿河湾沖 静岡駿河湾地震(震度6弱:静岡県伊豆市、焼津市、牧之原市、御前崎市)死者1名、負傷者245名、東名高速道路牧之原インター付近で路肩崩落。

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