政治学及び歴史学上の福島原発事件の位置
福島原発事故の政治学

福島原発事件を日本の歴史家はどのように位置づけるであろうか。
ハーバード大学の歴史学の教授アンドリュー・ゴードンはNHKの番組で2011年6月7日にこのような疑問を投げかけた。
日本人でも分からないこの問題が解けなくては、菅首相後の後継選びの問題は解けないと思われる。
チェルノブイリ後ソ連共産党が違法化され、ソ連が崩壊したことは歴史が残した事実である。
海外が福島原発事故の日本の政府の情報隠しについて3月の段階で読売新聞は書いた。
私は過激主義の廃止と、政治臨床心理学の発達し、左右の対立の解消が起こり、核爆弾と原子力発電の管理が政治臨床心理学の下での管理が行なわれるようになると考える。
元々マルクス経済学という唯物論と汎唯セックス論とによる理論が世界を支配していた時代が東西の対立であった。ハーバード大学のサンデル教授はコミュニタリズムによって解こうとする。
パニックを避ける。これが情報隠しの理由であった。
3,000万人が放射能汚染から逃れるために移住するのかという問題である。
鎌倉幕府ができる数年前に京都で地震が起こった。江戸幕府が開幕する前に京都で地震が起こった。
これとは反対に民主主義の現代において福島原発事故が起こった。
政府と天皇は京都に帰るべきである。
このような意見を原口一博は述べている。
鎌倉幕府、江戸幕府が開幕した時代と同じくらいに大きく時代が変わるくらい大きな福島原発事故が起こったのである。

政治の観念が変化し始めた。

福島原発事故が起こったときには新左翼であった菅直人が首相であった。
菅直人にできたことは民主党も自由民主党も政府もすべて崩壊させることであった。

大連立によって産業報国会のような「大本営」をつくって超国家主義に戻ろうという主張に日本ではなっていく傾向にある。
読売新聞の渡邉恒夫の長年の夢であった。しかしこれは共産主義が好きであった渡邉恒夫の考えそうなことであり、彼の学生時代の東京大学経済学部と東京大学文学部は一橋大学商学部のような現代経済学が発達していなかった時代の人間が考えそうなことである。
このような政治臨床心理学は非常に今後の政治の概念を考えるときには有効な概念である。

絶対的な窮乏説が有効でないと証明された現代においては、政治はマスター・サイエンスとして考え直していくべきであろう。
まず天賦人権論以来の政治的自由は必要であることは論を待たないが、政治的自由とともに経済的自由を確保することが必要であると考える。
私は民主主義の時代になると考える。その際に金権政治に対して経済的自由と経済的機会が経済先決的主張よりも優先されるべき時代になると考えられる。これまでの時代は「経済的自由を確保することとはできない。経済先決的主張をすることによって唯物論と唯セックス論とによる決定論が必要である。」とされて、政治的自由は経済的自由を確保することとは新保守主義の理論であるとして排除されてきた。
この対立が「フランス革命の省察」の中に書かれている。このような左右の対立の概念が東西冷戦に持ち込まれて、更には核の時代にもこのような対立として世界がとらえられてきた。
これにくさびを打ち込む考え方が政治臨床心理学であり、政治臨床心理学は非常に大きな役割を果たすのである。

500年後までも通用する政治学の概念は人であり、家族的共同体であり、国家的共同体であり、それらの関係である。家族から独立して人になり、政治的自由と経済的自由を確保することそして新しい家族ができていくことをこれを政治臨床心理学として確立していく必要があり、報道もこれを中心にして報道すべきである。

オバマとクリントンの対決はオバマに自らの両親の離婚こそ自らの強みであることを理解して始めてオバマの勝利につながった。
一方私は母親は誰も親戚中なっていないのに中国共産党の地上核実験のときに胃ガンになったものと思われ、それが姉が二十三歳、二十一歳、弟が十三歳であった私が十七歳の時になくなったということを理解して始めて私の強みとなる。
オバマ氏が永久に自らの大統領としての地位を確立する為にはそこから「全人類」を説得するものをオバマ氏の母親の心の中から見いだすが必要である。私の書いたオバマ讃歌の根源はそこにある。オバマ氏はそこから逃れようとして、エリートであるとしてハーバード大学にすがろうとする、そこにはオバマ氏の再選はない。

オバマ讃歌と政治臨床心理学がどのように結びつくのか、答えは家族まで政治をつれていくことによって、攻撃性をなくすことである。
マルクスにおいても、フロイトにおいても唯物論と唯セックス論とによる決定論は本能のみに自ら置くものであって、その他の「色即是空」のような唯物論と汎性説から免れた政治的自由と経済的自由はないものとして人間そのものを定義する。
これは兄弟との闘争の中から生れた兄弟喧嘩の闘争からの攻撃性を原因としている。コミュニタニズムではこの問題は解けない。 共同体は家族の共同体と、国家の共同体の間にあるある地域の共同体を言っている。

だからこそ家族から独立して自由な人となり、国家の共同体と地域の経済と共同体を同時に考察するという両者が必要になる。サンデル氏はその間で悩んでいることは伺えるが、古典からのすべての政治学の中から本当の政治学を政治臨床心理学によって確立できる程にまではいっていない。