私が撮影した山の風景を展示しています。
「山の写真館」第2部をスタートしました。
第1部は自然を中心に展示しましたが、今回からは山の生活や民俗、信仰などをテーマに1年間開催する予定です。
どうぞ、ごゆっくりとお楽しみください。(ご意見ご感想もお待ちしています)
第2部 第1回 「路傍の石仏(地蔵)」(2005年2月)
山道を歩いていると峠や辻や村境などでたびたび石仏に出会います。
それは村四国だったりお大師さんだったりもしますが、ほとんどは素朴なお地蔵さんです。
お地蔵さん(地蔵菩薩)は、
お釈迦様の入滅後、弥勒菩薩が現れるまでの56億7千万年もの長い無仏の間、すべての人々を救うといい、
日月天とともに星宿の仏神として遙かバラモン教の頃から信仰され、
父なる「天(虚空蔵菩薩)」に対して母なる「地」は、地獄の衆生や子供を救済し、現世に利益をもたらすのだそうです。
とまあ、難しいことはさておき、童形のお地蔵さんに出会うと「ほっ」と心の和むものです。
あれは北川村の大谷山に出かけたときのことでした。
急斜面をトラバースする細い山道を辿って、息を切らせながら山伏峠を越えたとき、
苔生した岩にすっかり同化した一体の石仏と巡り会いました。
長いこと誰に認められることもなく一面緑に苔生した地蔵がそこにありました。
そっと近寄って丁寧に苔を落とすと、にっこり笑ったお地蔵さんが現れました。
そこには「右ハ柳瀬道、左ハ大谷道、文化六巳四月、香我美郡王里郷西川村、喜八」と刻まれていました。
今は廃村となった大谷村から、藩政時代に道番所のあった竹屋敷村を結ぶ往還は、
今でこそ越える人もいませんが、往時は相当の往来があったのでしょう。
今から200年も昔の江戸時代文化六年(1809年)にはこの道が重要な往還だったことが窺い知れます。
ちなみに、文化六年頃といえば間宮林蔵が樺太を探検し、
伊能忠敬が土佐を測量に訪れ、フランスではナポレオンが活躍していた時代です。
興味深いのは、山伏峠から北に「柳瀬(実はこの頃はすでに魚梁瀬と改称済)」へ向かう道があったことです。
つまり、魚梁瀬は竹屋敷を経て隣藩の阿波海部郡とつながっていたわけです。
それを裏付けるように、8年前の寛政13年(1801年)には、海部郡の百姓が魚梁瀬と東洋町に逃散するという大事件を起こしています。
比較的豊かな阿波から貧しい土佐の山間に逃散とは不思議に思えますが、
これは海部の郡代がよほど「がめつかった(厳しかった)」ためのようです。
また、現在の香我美町中部に位置する大忍郷西川村が「大里」ではなく「王里」なのも見逃せないところですが、
なにより、西川村の喜八さんが、遠く離れたこの地に、どんな理由で地蔵を安置したのでしょう。
名字を持たなかった喜八さんは町人だったのでしょうか。何かの商いでたびたびこの道を越えていたのでしょうか。
そして、お地蔵さんはどこで彫ってどうやってここまで持ってきたのでしょう。謎はつきません。
さて、上のお地蔵さんは舟形の光背に浮彫りの立像で、普段よく目にするものですが、
広く庶民の信仰を集めた地蔵菩薩にはいろんな姿(像容や彫法など)のものがあります。
片手に錫杖を持ったものや、線だけで描かれたもの(線刻)や、墓地の入り口では六地蔵などもよく目にします。
たとえば、横倉山系三嶽のうち三方ケ辻山(大平山)に登ったときには、
蓮華座に坐って宝珠を持った丸彫りのお地蔵さんと出会いました。
オーバーハングした大岩のもとに安置されたお地蔵さんの台座には、「為所人通用、弘化二巳年七月廿四日、大平本村中」と刻まれていました。
弘化二年は西暦1845年のことですが、ここで注目すべきはその月日です。
実は、7月24日(旧暦)は「地蔵の縁日(いわゆる地蔵盆)」として特別な日なのです。
村中の人々が往来の安全を願って、わざわざ縁日にお地蔵さんを奉ったことが想像できます。
きっとその日は盛大にお祭りしたことでしょうし、皿鉢を囲んでお酒を酌み交わしたことも想像に難くありません。
ところで、村人はなぜここに地蔵を奉ったのでしょう。
この道は、仁淀(森村など)の人々がお城下に向かう主要道で、往時は人馬の切れ間がなかったといわれる往還でした。
断崖絶壁の下をトラバースする道ではたびたび事故が起きていたのかも知れません。
荷馬が転落して捨て置かれたというようなことは日常茶飯事だったとも聞きます。
ちなみに、木地師の里を通過するこの道は、所々に往時の面影を残し、時に延々と続く敷石は参勤交代道にも劣らず見事なものです。
しかし、そんな古からの道も今は地図にさえ記されてはいません。これもまた不思議なことです。
不思議なことといえば、このお地蔵さんの頭部はなぜ割れてしまっているのでしょうか。
実は、村の若者が悪さをして壊してしまったそうなのです。
しかし、なぜ若者はお地蔵さんを壊すほどの怒りや悪ふざけを心に宿したのでしょうか。
ひょっとするとお地蔵さんは「誰か」の身代わりだったのかも知れません。それもいまだ謎のままです。
こうしてみると、路傍の石仏は様々なことを私たちに語りかけています。
急ぎ足の山道も、お地蔵さんに出会ったら、いっとき歩みを止めてその声に耳を傾けてみてください。
そして、不思議なお地蔵さんに出会ったなら、どうか私にも教えてください。
私もそのお地蔵さんの声を聞きに、さっそく出かけてみようと思います。