蟠蛇森山頂一帯はカヤがはびこり三角点の標石もカヤに埋もれている。
三角点の標識はさすが1等三角点だけあって大きく立派なものだが、それにしては傍らに添えられた山名板はささやかである。
ここからは北方向の展望が良く、目を凝らせば石鎚山系のやまなみが見える。
近くには石鎚信仰のものらしい祠があり、祠の後方には遠く石鎚山を望むことが出来るのは遙拝所としてうってつけの場所ともいえる。
カヤなど夏草におおわれた蟠蛇森山頂。右は三角点の標石。
さて、三角点の標石と別れてなだらかに東方向へ2分ほどで展望台の立つ蟠蛇森公園に辿り着く。
蟠蛇森の南斜面には急傾斜の仏像構造線が走り、ここからは須崎市街が一望で、横浪半島や中土佐町の加江崎なども見えており、須崎湾や野見湾に浮かぶ小島の彼方には水平線が空にとけ込んで見える。
広場にある鉄製の展望台に登れば、心地よい潮風に吹かれ、ぐるり360度の眺望に時の経つのも忘れる。
南には太平洋が広がり、東方面には目の前に蟠蛇森のパラボラアンテナがあり、その左肩越しにこちらもアンテナを冠した虚空蔵山が、そして遠く高知市方面を望むことができる。
また、北から西には中津明神山や鳥形山など、高吾の山々が指呼できる。
展望台からの眺めを楽しむ。
ところで、ツツジやアセビやサクラなどが植樹され公園として整備されている広場を東に下って行くとアマチュア無線用中継施設(レピータ)「JR5WZ」の近くを通って向かいにある無線中継施設の方角に行くと、展望台から約5分で車道に出る。この車道は雪割桜(ユキワリザクラ)と小夏(コナツ)で知られる桑田山から伸びてきた車道である。ここには蟠蛇森公園入り口の看板があり、家族連れなどにはこちらの方のルートがお馴染みであろう。
木製のベンチに腰掛け、須崎市街を俯瞰しながらのどかな昼食を楽しむ。
さて、昼食をとりながら須崎市を見下ろしていると、真新しい須崎バイパスによって車の流れが変わったことに気づく。
須崎市街を通過していた国道56号線の流れが南のバイパスに移っていることは遠目にもわかる。
これで間もなく開通する自動車道は更にいかなる「motorization(モータリゼーション)」をもたらすのだろうか。
須崎バイパスのお陰で渋滞緩和などずいぶん便利になったことは嬉しい限りである。
しかし一方で、主役の座を明け渡された旧道に一抹の淋しさも覚えてしまう。
朽木峠越えの往還が蟠蛇森の南を迂回する車道へ代わったように、いつか昨日までのメインルートはやがて言の葉にも上らなくなるのだろうか。
約1万年前、蟠蛇森を越えて不動ガ岩屋洞窟(備考を参照)に移り住んだといわれる縄文人の軌跡のようにその足跡はすっかり消え去ってしまうのだろうか。
公園に咲くフクリンササユリの群。
それにしても、可もなく不可もなく、お膳立てされた道、敷かれたレールの上を味気ないと思うのは私が老いたせいだろうか。
置き去られてゆくものに、変わらないことの難しさを思い知りながら、何気なく隣を向くと気の置けない仲間はいつものように涼しい顔をしていた。
その頭部にはあの麦わら帽子がよく似合っていた。
いつまでも変わらないだろうものを間近に確認して、ふつふつと温かいものがこみあげてきた。
*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
登山口<11分>朽木山荘分岐<14分>朽木峠<12分>大岩の祠<11分>白石の標石<39分>蟠蛇森山頂<2分>展望台
【復路】
展望台<2分>蟠蛇森山頂<32分>大岩の祠<8分>朽木峠<17分>登山口
備考
今回紹介した登山口である川ノ内の集落ではマイカーの駐車にくれぐれも注意してください。ちなみに方向転換にも苦労します。
従って、旧道入り口から川ノ内の終点までは約1.5Km程ですから、維新の道案内板から歩かれる方が無難かも知れません。
蟠蛇森の北、佐川町西山の聖嶽(ひじりだけ/聖山とも聖滝山ともいう)の中腹には縄文時代草創期の高知県の代表的遺跡「不動ガ岩屋洞窟(国指定史跡)」があります。不動ガ岩屋洞窟とは、洞内に不動明王が奉られていることから呼ばれています。
この洞窟の内部からは旧石器時代終末期の特徴とされる石器「有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)」や日本でもっとも古い時代の土器とされる「細隆線文土器(さいりゅうせんもんどき)」の土器片などが出土しています。
一帯は公園として遊歩道が整備されているので時間があれば聖嶽を巡ってみるのも良いでしょう。
なお、近くの聖神社には高知県指定の天然記念物「サカワヤスデゴケ」が生育しているようですが、私には特定できませんでした。
不動ガ岩屋洞窟の内部。左手の本洞に不動明王が奉られている。右手には支洞の入り口が見えている。