休憩所から10分ほどで、参道の右手にイロハカエデの大木を認めると、鷹の石灯籠(いしとうろう)に迎えられる。よく見ると足元にはかつての鳥居の跡らしきものもある。
この灯籠、右手の鷹は首が取れており、左手の鷹は足元からとれてしまっている。これは、南海大地震(1946年マグニチュード8.0)で倒れた時の名残らしい。
ここからは、石段の脇にあるたくさんの石仏に守られながら山頂をめざすことになる。ミニ四国霊場88カ所などもある。
参道脇の石仏群。この地蔵は地元の小松さんが付近に散在していたものを集めて祀ったものだという。88体のうちおよそ70体が祀られているらしい。
登山口から約1時間半、再び石灯籠を過ぎて分岐にさしかかる。
ここはどちらに行っても山頂だが、左手に行くとたくさんの石板が見事である。
広い参道の正面で、立派な鳥居が待っている。
2つの鳥居をくぐり見上げると、韮生山祇(にろうやまずみ)神社がそこにある。
最後の短い階段を登りきると、静かな境内は森厳な雰囲気に満ちている。
ここまで、登山口からの所要時間はおよそ1時間40分ほど。
鳥居をくぐり、見上げると韮生山祇神社。
狛犬や石灯籠や、いくつもの奉献物に守られて立つ社は、後方が本殿であろう、龍の彫り物などがまったくもって見事というほか無く、優れた宮大工の技に感服してしまう。
ここには安徳天皇と平教盛が合祀(ごうし=合祭)されている。
その昔には鎧甲や刀など貴重なものが数多くあったようだが、悲しいかなここもご多分に漏れず盗難に遭っている。
なお、傍らにある通夜堂は、かつてはずっと下方にあったものを、ヘリで空輸し移築したそうである。
さて、御在所山の山頂は社のすぐ裏手にある。
「奥物部連峰展望所50m→」という案内板に従って社の裏手に回ると、安徳天皇に仕えた147人の従者を祀ってあるという塚の傍に、三等三角点の石標と山名板が見つかる。
木立の中にひっそりと三等三角点がある。展望はきかない。
展望が皆無な山頂を後にして、三角点から北東にほんの少しのところにある「奥物部連峰展望所」へと向かう。