ブナやツツジの豊かな稜線はまるで飽きることが無く、小さなピークのアップダウンも軽快に進むと、距離の割には思うほどもなく頂上に躍り出た。
山頂で早速、設営にかかる。二人の間のすぐ向こうに見える三角錐が冠山。その左が寒風山、右手の看板の後ろに見えるのがちち山、更にその左のなだらかなスロープが笹ヶ峰である。左隅で傾き掛けた看板には「笹ヶ峰自然環境保全地域」とある。
山頂は見事になだらかで広大な笹原である。
更に西に続く稜線を辿れば、冠山〜ちち山〜笹ヶ峰〜寒風山〜伊代富士の山並みが、南には稲叢山〜西門山〜東門山が、北には銅山山系の山並みが、東には吉野川沿いに嶺北の集落が延びている。
その昔、源平の合戦に敗れた平家の落人が徳島県祖谷山を経て吉野川をつたいこの山に辿り着いたと伝説にあるが、その当時の平家の人々はどんな思いでこの頂に立ったことだろう・・・
360度のパノラマを充分に満喫した後で無線の運用準備を始めたが、アンテナの給電部を取り付けるネジが無いことに気がつく!
入念な準備を怠って忘れ物をしたのは、後にも先にもこれが始めてである。
苦肉の策でビニールテープを使いグルグル巻きに取り付けた給電部で何とかアンテナを設営、胸をなで下ろして運用を始めた。
山頂の東側でアマチュア無線の運用を開始。
コンディション(電波伝搬状態)が良かったのと、高知県土佐郡大川村が珍しかったせいもあり、思った以上に声はかかるが、福島県耶麻郡固定局とのQSO(交信)はかなり厳しかった。
ちなみにこの時、頂の北側に見える銅山越しの峠には愛媛県新居浜市の無線友だちであるJF5CUR(尾佐古さん)が運用中で、しっかりエールを交わしたのは言うまでもない。
午後になり、山頂の南にある大きな岩に立って登ってきたルートを眺めると帰途が少々不安になり、登山者も閑散としだしたので強引に交信を打ちきって撤収を始め、来た道を引き返した。
平家平北側に広がる笹のスロープをバックに、右手奥には笹ヶ峰が見える。
稜線を離れて再び送電線沿いの下りにかかると膝が笑い、背の荷が肩に食い込んだが、坂道を一気に下り登山口までは2度の休憩で帰り着いた。
下山途中に平家平の南に延びる尾根を見ると異様に白い林道がなだらかなスロープを遮断してミミズ腫れのように西に延びていた。
あれから4年、寒風山からも延びてきていた広域林道はあの道とつながったのだろうか・・・?
平家平の山頂で見た「環境保全地域」の看板が傾いていたのはどんな暗示だったのだろうか・・・
備考
山頂から南側には幾つかの踏み跡があったが、足谷からの直登路は特定できなかった。
また、この時JF5NGL(杉村さん)は冠山へ足を延ばしているが、往復1時間を要している。