鬱陶しいススキを払いながら、林道終点から20分あまり歩いて来て、道はネットの外に出て尾根に乗る。
尾根に出てからはスギの植林を抜け、町境に沿って刈り払われた道を登り始める。
境305の標柱を過ぎると、たまに大きなカラタチイバラの蔓に遭遇するが、概してそれほど難儀する場面も無い。
登るたびに後方の展望が開け、だらだらとしんどい坂も苦にはならない。
町界尾根を登れば、振り返るたびに展望が広がる。(中央奥のピークが林道終点あたり)
歩いてきた方向を振り返えれば、辿ってきた尾根筋が一望のもとに、その向こうには四国百山に数えられる鰻轟山をはじめ請ケ峰などが覗き、遠く離れたものの青い海に浮かぶ牟岐大島は今も肉眼でしっかりと見えている。
この辺りが伐採されたのは今からおよそ10年ほど前のことらしいが、その後幸いなことに大規模な植樹も行われず、またひどいヤブになることもなく、ススキ以外に遮る物の少ないことは幸いである。
視線を更に移してゆくと、南には海南町と宍喰町の境界尾根が海部町に向けて凹凸を繰り返しながら西ケ峯へと続いている。すべてが見慣れない徳島県南部の山々だが、進行方向左手には野根山山系をはじめ高知県東部の山々も見えている。
尾根から北東の眺望。歩いてきた尾根筋が一望のもとに。鰻轟山の右手は請ケ峰。
ところで、尾根を辿っていると足元に「柿原山林」の標柱を見つけた。
この標柱とは鉢ケ森の東尾根でも出会っている。小さな標柱もこうして記憶に残っていれば愛着さえ湧くものである。
さて、尾根筋に出てから20分足らずで「四団」(*1)の標柱を過ぎると、道は間もなくなだらかな背に出てカヤの中の踏み跡を辿って行く。
所々にカヤがまとめて敷かれてあるのはシカの寝床だろうか、足元にもシカの糞がある。
また、前述の直登コースを登ってきた場合はこの辺りで合流するのであろう、伐採地のカヤ原で南に向かうそれらしき踏み跡を認めた。
(*1)四国森林開発公団のことと思われる。当時この辺りの管轄は徳島出張所で、主に水源地確保の為の公団造林が主体だったと思われる。
なだらかにカヤ原を行く。後方やや右手のピークは西ケ峯。
やがて前方に立ち枯れて白骨化した木々とモミの立つコブが見えてくると、程なくそのコブを越えて、尾根沿いに回り込めば、林の縁で褐色のヒメシャラを目印に待望の貧田丸山頂に至る。
山頂付近から白骨林の辺りを振り返る。
高知県馬路村、徳島県海南町、宍喰町の三行政区にまたがる貧田丸は、南の宍喰町側だけが伐採により展望を得ることができる。それ以外はヒメシャラやヒノキやモミなどの樹木に囲まれており眺望は望めない。三角点の標石はそんな林の際にひっそりと肩まで埋もれている。
貧田丸の三角点は2等で点名は「東谷」である。親切にも傍らの樹木には三角点の位置などを詳しく記した私製の札が下げられている。
こんな山頂だが標石のまわりにはたくさんの山名板があり、山容の割には多くの強者どもの挑戦を受けてきたことが窺い知れる。
山名板のほとんどは徳島県の登山者や山岳会のもので、アプローチの遠さが他県の岳人を遠ざけているのかも知れない。しかし、私達のように登頂記念の山名板は立てないという登山者も随分多いはずなので、案外四国の山に魅せられた人たちは少なからずこの頂を踏んでいるに違いない。
念願の貧田丸山頂にて。たくさんの山名板が三角点の標石を取り囲んでいる。
ところで、貧田丸とはユニークな山名である。まさか山頂付近に田んぼがあったとは考えにくいが、よもや山腹に痩せた出作りの水田があったにしても貧田とは思い切ったネーミングである。
ひょっとしたら、仏教による福田の教えの中の「貧田」の思想から名付けられたものなのかも知れないがその拠(よりどころ)は定かでない。
そんなことより、必ず山頂で広げようと、わざわざ昼食を簡素にしてまで持ち上がってきた食べ物を引っ張り出し、今日2度目のしかし今度が本当の昼食を開始したのだった。
そうして、遠く牟岐大島や太平洋を望みながら、念願の頂で飲むコーヒーは何ものにも代え難かった。
しかし、出だしが遅れた分だけ山頂でくつろぐ時間は短くなってしまった。
貧田丸の向こうに沈もうとする落陽に見送られながら帰途につく。
名残を惜しみながら、この山なら時をおいてまたいつか訪れたいなと思った。
そうして、ススキ野原に気の早い秋の虫の音を聞きながら、貧田丸を後にした。
*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
登山口<9分>谷の渡渉点(水場)<39分>林道終点<23分>町界尾根との合流点<39分>貧田丸山頂
=計110分
【復路】
貧田丸山頂<26分>町界尾根との合流点<20分>林道終点<23分>谷の渡渉点(水場)<9分>登山口
=計78分
備考
文中でもふれたように、今回のコースはたびたび鹿避けネットの中を通過します。もし、同じコースを辿られる場合は、ネットの開閉に充分注意してください。帰路にも通るからと開けっ放しにしたりしないよう、慎重かつ丁寧に取り扱ってください。
また、通電式のネット(電柵)には電線が編み込まれていて、通電時には高電圧により鹿の進入や被害を防ぐものですが、通電していない時でも雷などには気をつけなければなりません。直接落雷しなくても誘導雷(誘導電流)が発生する場合もあるので注意が必要です。万一通電されていたり、落雷の危険がある時は絶対に近づかないようにしてください。
ごく稀に鹿避けネットに絡まってしまった鹿に出会すことがありますが、不用意に近づくと非常に危険な場合があります。充分に注意してください。
最初に辿った直登ルートは、更に踏み跡を辿り約1時間半で山頂に達することが出来るようです。