火打ケ森 2004年11月
それは、常夏のビーチでいきなり山男と出会ったような驚きの顔だった。
こんなところに登山の対象となる山があるのか、と、その目は問いかけていた。
道徳(どうとく)の集落を抜けて、北に車道を行き詰めると、終点で作業中の青年に声を掛けたのだがどうにも話がかみ合わない。
ともかく地図を頼りに歩くことにして、どかしてくれた大きな重機の横に小さな軽自動車を滑り込ませてから身支度を始めた。
無理もない。
季節は紅葉の名残を惜しむ晩秋である。誰もが錦に彩られた峡谷や峰をめざすこの頃に、流行らない地味な山に行こうというのだから。しかも女性連れである。
まして火打ケ森といえば七子峠からの尾根伝いがあまりにポピュラーである。道徳から歩く「物好き」は、たぶん数えるほどもいないだろうから。
好奇の視線に背中を刺されながら、ぼつぼつと歩き始めた。
車道終点では重機が忙しく働いていた。
ぬかるんだ作業道を少し歩くと谷川を渡る。杉が茂る植林の中を、谷川に沿って明確な山道が延びている。
これからしばらく大井川の源流部に向かって、緩やかな流れを遡る。
それにしてもどこでも思うことなのだが、「道」はほんとうに効率よく踏まれている。
谷沿いに行くはずの道が谷から逸れて「あらっ」と思うようなところも、つまりはちゃんと蛇行する流れをショートカットしている。
実際に歩いてみると納得がゆくのだが、まるで無駄がない。
先人のつけたしっかりとしたトレースに感謝しながら北に向かう。
谷沿いの道を遡る。
しかし、そんなしっかりした道も自然の猛威にはかなわない。特にこの年の台風はひどかった。
山道はいたるところで増水した濁流に洗われている。足もとには台風でもぎ取られた杉の枝葉が散乱し、山から運ばれた土砂で埋まった箇所もある。大きな障害にあたらなければ良いが、と不安に思いながら歩くと、まもなく予感は的中した。
山道は、こうして幾度も谷を横切る。
朝日を受けて長く伸びた樹木の影を踏みながらゆく渓谷は心地よい。
樹齢は若いが苔生した杉の木立と、ちょろちょろと流れる渓が深山幽谷の雰囲気を醸し出している。
ところどころで足もとを照らすように咲くアケボノソウも、澱んだ流れに漂うアブラハヤも、愛らしい。
しかし、谷の二股分岐を通過し、しばらく右岸を歩いていた頃、前方に大きな障害が現れた。
台風で山肌が崩壊し、山道は土砂と折り重なるように倒伏した杉の木々に、まったく行く手を阻まれている。ひどい有様だった。乗り越えることも出来そうにない。仕方ないから谷を対岸に渡りエスケープすることにしたが、ことのほか手間取ってしまった。
これほどでは無かったが、規模の小さな障害にはこの後も何度か出会った。
風倒木が幾重にも行く手を遮っているのをくぐったりまたいだり、時には対岸に迂回したりして、ひたすら谷の源頭部に向かった。
台風でなぎ倒された木々を越えてゆく。
炭窯跡に木炭燃料全盛の時代を遠く思いながら、幾度か谷を渡渉すると、そのたびに流れは細くなり、ところどころ伏流水になって消え始める。
何度目かに谷を左岸から右岸に渡ってほどなく、白いサインテープを頼りに分岐を左へ折り返すように登ると、尾根に出た。
七子峠と山頂とを結ぶ尾根筋にはピンクのテープが賑やかだった。
照葉樹が輝く尾根筋に立つ。