仏が森  2003年4月26日

仲間と山行きを計画していても土壇場でキャンセルになる、いわゆるドタキャンもたまにはある。
しかし、逆に土壇場になってから急遽山行きに参加するというケースはそう滅多にない。
この日は杉村さんと伊藤君が突然の参加で、楽しく賑やかな山行きになった。

今回登る「仏が森」は大方町の最高峰であり、中村市と大方町との境に聳えていて、常六小学校や大方中学校の遠足の山などとして、古くから人々に親しまれてきた山である。山頂には愛嬌のある仏像が安置されており、いつかは一目会ってみたいと思っていたものを、今回は篠山に出かけるついでに立ち寄ることにした。

国道56号線で大方町に入ると、上川口から蜷川(みながわ)に沿って常六上川口線(県道365号線)を北上する。
対向車に気を配りながら狭い車道を5キロほど走ると、やがて道の左手に小さな碑が現れる。これが「千代の碑」で、碑の奥には「千代のとどろ」と「千代ケ渕」と呼ばれる小さな滝と渕が見える。
鎌倉時代末期、元弘の乱(1331年)の失敗により土佐の畑庄(幡多)に配流された尊良親王(後醍醐天皇の第一皇子)は奥湊川の領主大平弾正や有井川の荘官有井庄司に手厚く迎えられる。そして親王は一時、仏が森の東山腹「王野山」に御殿を遷されたといわれる。
大方町には親王にまつわる地名や伝説が多く残されており、「待王坂」や「王無浜」、あるいは「小袖貝」の伝説などは非常に有名なものである。
そんなひとつに千代の哀話がある。
有井庄司のもとに仕える娘「千代」は、毎日往復6里の道のりを歩いて親王に供御(食事)を運ぶなど献身的に仕えていた。彼女は毎日、時刻を知るために懐に鶏を抱いて、その鶏が鳴くまでに王野山の仮御所に着いて親王に食事を届けていたが、ある日食事を届ける前に懐の鶏が鳴いてしまい、自責の念に駆られた千代は思いあまってこの渕に身を投げてしまったといわれる。
それを知った親王は千代の死を嘆き、毎日この渕を訪れては祈りを欠かさなかったといわれ、それ以来、この渕を「千代ケ渕」と呼ぶようになったという。


千代の碑には供物が絶えない。碑の右後ろに「千代ケ渕」が見える。碑には「若草の萌え蘇る千代が渕」と刻まれている。

そんな「千代の碑」から更に車道を3.5kmほどで町境にある佛ケ森隧道になる。
仏が森への登山口はトンネルの南北2箇所にあるが、今回はトンネル北口にある中村市側登山口から登り、大方町側の南口登山口に下りてくることにした。

佛ケ森隧道を北に抜けると、登山道はすぐ左手に現れる。駐車場はトンネルを出てすぐ右手にあり、マイカー数台分の駐車スペースがある。傍らには桜の古木が立ち、仏が森の伝説を紹介した看板も立っている。
それによると、かつて弘法大師がこの地を訪れた際に、千の谷があればここに霊場を建立しようとしたが、残念ながらひとつ足りなかったといわれ、それは「天の邪鬼(あまのじゃく)」がひとつ隠していたからだとの言い伝えである。
実はこれと同様の伝説は日本中のいたるところにあり、民俗学上「九十九谷伝説(つくもだにでんせつ)」といわれるこの種の言い伝えは、「弘法清水(弘法大師の清水伝説)」と同様に広く流布する伝説である。しかしどの例とも同じように、この地を霊地として崇める地域の人々の思いがたっぷり込められて語られることに変わりはなく、「ひとつ足りない」というモチーフにはこの山に対する地域の人々の想像以上の思い入れを感じるものがある。


トンネル北口から県道を離れ歩き始める。入り口には道標が立っている。

さて、それはさておき、トンネル口から「仏ケ森登山口」と書かれた道標に導かれ早速歩き始めることにする。
登山口から尾根までは林道歩きで、勾配のきつい車道は少し行くと未舗装の地道になる。

樹間から北に石鎚の連山を遠く眺めながら歩くと、照葉樹林の厚く革質の葉が陽光をうけて輝き、春の清々しさを感じる。
林道には松葉が降り積もり、所々に赤く落ちているのはヤブツバキの花である。
林には初夏を告げる卯の花(ウツギの花)が早くも白く咲き誇り、季節の移ろいを感じさせる。そういえば暦はもうすぐ卯月である。


なだらかな尾根に出る。仏が森山頂へはここを右に折れる。

登山口から快適に10分あまり、林道を登り詰めると中村市と大方町との境界尾根に出る。
尾根には中村営林署によって、熊や兎をあしらった愛嬌ある「火の用心」の看板が立てられている。
ここから林道は尾根を東に向かっているが、めざす仏が森へはここを右手に山道を西へと向かう。


市町境の尾根を西に向かう。

木立に掛けられた巣箱を見ながら、尾根を下り気味に少し歩くと「五九四」と刻まれた標石柱がある。
ここからは正面に壁のように立ちはだかる急坂への直登が始まる。
急坂に降り積もった落ち葉は滑りやすく、まるで積雪のスロープを長靴で歩くようにままならない。
たびたび滑りながらもツバキやドングリの実に励まされながら這うようにして上をめざす。
坂の途中には手の入れられた痕跡があり、ところどころ巻き道のようなトレースもあるがどちらを歩いても五十歩百歩である。
とにかくひたすら辛抱強く歩くしかない。


落ち葉の降り積もった直登に難儀する。

そんな坂も、15分ほど登ると樹間から左手に太平洋がちらほら見えてきて、ようやく少しなだらかになると先ほどとはうって変わって広々と快適な林になる。
そうして右手に五在所ノ峯や鳥形山、不入山など北東方向の展望が開けると、そこから数歩で左手に手作りの展望台が見えてきて、ほどなく山頂に辿り着く。


山頂の手前で、登山道の右手にある展望所からの眺め。不入山や鶴松森、五在所ノ峯(右後方)などが見える。

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