池山 2003年6月21日
野根山山系の南端に位置する池山は室戸市元(もと)の奥にあって、山頂には池山池という広大な池があり、小島には池山神社が祀られている。
池山神社は「池山さん」と呼ばれ、霊験あらたかな雨乞いの神様として、あるいは漁業が盛んな土地柄「海上安全」の神様として、遠く藩政時代から多くの信仰を集めている。
そんな池山さんだから現在でも毎年の祭りは欠かさず行われ、私たちが訪れた日もひと月ほど前に大祭があって、幸いにも参道は草刈りなどの手入れがされた後だった。
池山に登るには幾つかのルートがあって、室津の奥の河内や、元の奥の奥郷(おうこ)からの道が昔からの参道である。また、点の記にあるように奥郷からの林道を利用すれば割合短時間で至ることもできるが、林道は未舗装である。
今回の私たちは奥郷の集落から昔ながらの参道を歩いた。
室戸市元から国道55号線を離れ、元川に沿って北に向かい、西川を経て奥郷(おうこ)の集落に入る。
狭い車道を走り数件の民家を過ぎると間もなく、車道左脇に「林道奥郷線起点」と書かれた白い標柱が見えてくる。右手にはフェンスで囲まれた猪追いの練習場や隣には猪犬の犬舎がある。
登山口は、フェンスに沿って右手に見えるコンクリート製の橋である。橋のガードレールにはお遍路さんのイラストが描かれたシールが貼ってある。
ここまで国道55号線から、車道を4km足らずである。
登山口から橋を渡ると田んぼの間を通り、左上に登って行く。
車道から谷川に架かる橋を渡り、田んぼの間を抜けるとすぐに山際で道は二手に分かれる。
分岐には鳥居の名残である石柱が一本立っており、柱には文政三辰年(1820年)六月吉日の年号と世話人3名の名前が刻まれている。
ここは左手に登って行かなければならないのだが、私たちはうっかり右手に向かってしまい、半時間ほど迷ってしまった。
実は、登山口である橋は地図に記載が無く、地図上の渡渉点は登山口よりまだ上方に位置していたのだが、そうとは気づかないで読図を誤り分岐から右に向かってしまったのである。おかげで鬱陶しい梅雨の最中、ウォーミングアップにしては長すぎる迷路で汗に浮きながら仕切り直した次第なのである。
ともかく、鳥居の石柱が立つ分岐からは左へと、稲田を左に見下ろしながら林に向かう。
道はヤマモモの木や柿の木の間を通り、シュロの木のそばを通ると竹ヤブで右上に折り返して登って行く。
一間幅ある広い参道を登って行くと竹林が終わり、辺りは照葉樹林帯になる。
道は広々と歩きやすいのだが、風も通らない林の中は湿度130パーセントの蒸し暑さで、汗は滝のように身体を流れ始める。
それでも、傍らで咲く一輪のクチナシに慰められ、赤く熟したヤマモモに初夏の味覚を思い出させられると、少しは気分も紛れる。
照葉樹林に囲まれた参道を登って行く。右は参道脇で赤く熟れたヤマモモの実。
やがて道は尾根に乗り、尾根沿いに上がるとすぐに分岐が現れる。この尾根の分岐には、「池山神社」と書かれた白いプレートが立木に下げられている。
ここから参道は白いプレートの方に尾根を越えて2〜3mほど下り、左下方から上がってきた道と合流してから右に折れて上方をめざす。やや分かりづらいかもしれないが、少し歩くと左脇の立木に「遍路道」と赤書きされた道標もある。
ちなみに、神社に向かう参道に「遍路道」というのも訝しく思われるが、実は池山神社は西寺(第26番札所金剛頂寺)の「奥の院」といわれ、四国八十八ケ所の奥の院を巡礼するお遍路さんがこの道を使っていることによるものと思われる。
尾根の分岐からは左へ尾根を越す。手前に白いプレートが見える。
さて、尾根の分岐からは後方に伐採された山肌や送電鉄塔を振り返りながら、山腹を緩やかに登って行く。足もとには赤く熟したヤマモモの実が幾つも落ちている。
分岐から10分ほどして、右に折り返すように脇道が現れるが、ここは無視して真っ直ぐに登って行く。
間もなく道は照葉樹林に覆われた薄暗い林の中に入る。辺りには無数の炭窯跡が散在しており、かつては山肌から幾筋もの煙が立ち上っていたであろう。その頃の室戸市は白炭の産地として名高く、この窯跡もそんな名残なのかもしれない。
参道は途中で拳大の石がゴロゴロしたガレ場を通り、やがてヒノキの植林の上に出る。
足もとにカンアオイの芸術的な葉を見ながら植林の縁を辿ると、間もなく登山道は分岐にさしかかる。
旧来の参道はこの先で崩壊により寸断されているため、ここは右上に折り返して登る巻き道を利用する。
そちらには立木に遍路道のプレートも下げられている。
照葉樹林で炭窯跡を見下ろす。