それにしても、しばらく続く無風状態の照葉樹林は湿度が高く、額からは滝のように汗が噴き出して止まらない。
ただただ惰性で重い足を出すだけの寡黙な歩行が続く。
もうかれこれ登山口から1時間、どれだけ歩いてきたか地図で確認してみるが池山まではまだ半分にも満たないことを知り、ひと休みしたくなる頃、ヒノキの植林に赤や白のテープが見えてきて、林道に這い出る。
林道は随分前から使われていないらしくひどく荒れている。

かつての参道はここで林道をやや下ってから山側に延びる細道へ続いており、入り口には赤いテープが見える。
一方、林道に這い出た地点の少し上手には「池山神社」と書かれた白いプレートが見える。
どうやら最近はこの林道を参道として使っている様子で、人が通れる幅で刈り払いされた跡もある。
私たちはここで、往路は林道を歩き、帰路には山道を歩くことにした。


登山道は荒廃した林道に出る。

荒れた林道を緩やかに登って行くと、数分で左に大きくカーブして尾根に平行に池山へ向かう。
林道に出てから10分足らずで旧参道との合流点になる。帰路にはここから山道を下るので、切り株に巻かれた赤いテープを確認しておく。
なお、ここから旧参道と林道は同じコースを辿り、ほぼ水平に北東へと進んでゆく。
高低差が無い分だけ気持ちに余裕も出てくる。傍らにはモミジイチゴが無数に黄色く熟れており、もぎ取っては口に運びながらしばらく林道を歩く。

林道に出てから約15分、殺風景な景色にも飽きてきた頃、林道は分岐になる。
左下方から比較的きれいな林道が上がってきている。登山口から「林道奥郷線」を延々と詰めてくればここまではマイカーで省略できるであろう。
この分岐は真っ直ぐに行くと、道の左脇の立木に例の白いプレートが下げられている。

分岐からヒノキ植林の中を走る林道を更に行くと、ほどなく右手に参道の入り口が見えてくる。
参道入り口にも例の白いプレートが下げられていて、立木にテープも巻かれてある。
林道は山肌を迂回してまだしばらく延びており、終点で参道と接近するが、そちらは少し遠回りになるので、ここは迷わず林道と別れて山道に入ってゆく。


林道から山道に入って行く。

山道に入るとすぐに尾根に乗り、右側に照葉樹林、左側にヒノキ植林の境を辿って北東に向かう。
参道の左下には、少し離れて先ほどの林道が平行に延びている。
山道に入って数分で、林道終点からの小道と合流し、照葉樹林帯を道なりに進む。
なだらかに広々とした参道が続き、両脇の木々はアーチ状になって参拝者を迎えてくれる。
先ほどまでのつまらない林道歩きに比べて、アセビ、カシ、シイ、ヤブツバキ、ヒイラギ、カヤなど、樹種の豊富な林は変化があって何とも嬉しい。
ヤブツバキの若木が群生する辺りでは海風がそよそよと林を抜けてきて気持ちも身体も随分楽になる。
参道はこれからしばらくの間、緩やかに上り下りしつつ、右に左に尾根を縫いながら北東に進んでゆく。


参道を守るように、照葉樹の林がアーチを組んで登山者を迎えてくれる。

林道と別れてから尾根沿いの道を25分ほど来ると、参道は池山の手前で登り坂になる。坂を上りきって尾根に出ると右手の立木にはナタ目が認められる。立ち止まって観察すると左手のピークに向かって赤いテープも見える。ここで林の中を尾根に沿ってピークに向かえば三角点のある池山の山頂である。
しかし、初めてだと山頂に向かうコースが分かりづらいかもしれない。ここは一旦池山神社に向かい、山頂へは帰途に立ち寄る方が無難であろう。
私たちも先に池山神社に向かうことにした。

池山山頂手前の尾根を越えてからは少し下ると間もなく行く手にY字の分岐が見えてくる。
ここは室津の奥の河内集落からの道との合流点であり、池山神社へは分岐を左へと向かう。


河内からの参道(右)と合流し池山神社方向(左)に向かう。

河内分岐から林の中を3分足らずで正面に広大な湿地が見えてくると、念願の池山池に辿り着く。
普段は水の少ない池山池も梅雨時の長雨で林の縁まで水が溜まっている。
かつては青く澄んだ水を湛えていたという池も、今は一面にアシやイグサや水草に覆われている。
しかし、想像したよりはるかに大きなそのスケールには圧倒される。
池を取り囲む樹木より高いものは見あたらず、空が大きく開けて、対岸には池山神社の境内である「小島」が見えている。
標高500mを越える山中のしかも山頂付近に、これほど広大な池の存在することはまるで夢の景色を見る思いがする。

ところで、この池の存在は古くから知られていたようで、南路史には「在所より一里半ぐらいの山の上に池があり、池の中に島がある。池は南北二町、東西一町半、深さ四尋である。今は大方沼になり、しょうぶやあしが生え、浅くなったが夏冬とも水はある。」との記述が見える。
つまり南北に200mあまり、東西に150mあまりの広さがあり、水深は7m以上あったということである。
水深はともかく、広さはそれ以上に感じられる。

こうして池の畔で神秘的な景色を眺めていると、ここに大蛇伝説などの昔語りが生き続けることを、圧倒的な自然の力で納得させられる。


山頂付近にある広大な池山池。一面をアシなどにおおわれている。中央に池山神社のある「島」が見える。

昔、水を満々と湛えた池山池には鴨(カモ)がたくさんいたという。
藩政時代のこと、元(もと)に住む河村与惣太(かわむらよそうだ)という郷士が鉄砲を担いで仲間と夜明け前に池山池に来て、飛び立つ鴨を見事に撃ち落としたところ、運悪く鴨は池の真ん中に落ちた。
そこで与惣太は鴨を回収するため、小刀を口にくわえて池の真ん中に泳いで行ったところ、うっかり口にくわえた小刀を池の中に落としてしまった。
と、たちまち池の底が渦巻き池全体が大荒れになり、一匹の大蛇が空に舞い上がった。
与惣太は命からがら岸に辿り着くと、仲間の後を追って必死で家に逃げ帰ったが、その夜から高熱にうなされ始めついに帰らぬ人になったという。
昔から池の主といわれていた大蛇は金物を嫌い、香川県は讃岐の満濃池に移ってしまったのだといわれ、この時を境に池の水は減って沼のようになったのだといわれている。

ところで、この伝説には後日談があり、その後、村人が山仕事などで池山に出かけると、ふいに美しい女性が現れて、「池山池に沈んでいた小刀はもう取ったでしょうか?」と聞かれるといい、麓の奥郷にある岡家にも時々、池の小刀の事を訪ねて来る美しい女性があったという。
満濃池に移り住んだ大蛇だったが、美しい女人に姿を変えては、住み慣れた池山に帰れる日をさぐっていたのに違いない。
思えば哀れな話ではあるが、大蛇に今、池山に帰られたのでは満濃池の水瓶が命綱の讃岐の人は一大事であろう、と、複雑な思いになる。

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