照葉樹林の中にひっそりと佇む山伏神社は、この神社のある北峯山が山伏の修行の地であったことから祀られはじめたともいわれ、祠には元久2年鎌倉より訪れたといわれる山伏も祀られている。
山伏神社と、境内に聳えるスダジイの巨木。
神社の脇には、樹齢500年とも千年ともいわれるスダジイの巨木がご神木として傾きながらもその逞しい枝を空に伸ばしている。このスダジイは根周り7.45m、目通り(目の高さの周囲)6.1m、樹高7mで、胴周りでは高知県下一のシイの巨木として「山伏のスダジイ(または母島のシイ)」の名で昭和44年に宿毛市の天然記念物に指定されている。
スダジイは、同じくブナ科シイノキ属のツブラジイとともに一般にシイと呼ばれる木で、ここ沖の島には戦前まで、野中兼山時代の国境としてたくさんのスダジイが残されていた。しかし、戦後になってシイタケの原木として次々に伐されてしまったという。
*昭和46年発行「土佐の名木」ではこのシイを推定樹齢250年と紹介しているが、同時収録の他のシイのいくつかでは胴回り5mで樹齢500年としていることから、亜熱帯という気候を差し引いても樹齢500年ぐらいには思われる。
宿毛市指定天然記念物「山伏のスダジイ」。そばに立つ浜田さんと比べればその巨大さが知れよう。
さて、山伏神社を後に、先の分岐まで引き返して妹背山の山頂を目指す。
かつての登山道は尾根伝いであったろうか、高知新聞社の「四国百山」取材班はどうやら尾根伝いにブッシュを漕いだようである、がしかし、現在私たちの進む登山道は尾根の右側の山腹を山頂目指して登っており、この道は比較的よく踏まれてヤブなどとはまるで無縁である。
間もなく妹背山の山頂、登山道の先が明るくなる。
登山道は、山伏神社との分岐からおよそ10分でやや急な登りとなり、更に5分ほどで「弘瀬港への分岐」になる。
この分岐には「弘瀬港へ70分」と記された道標がある。
今回の私たちは弘瀬からの道を探索はできなかったが、弘瀬地区で尋ねると案外よく使われるルートだという。
弘瀬港からだと妹背山までは2時間近くかかるようだが、それでも地元ではよく使われるルートなのであろう。
事実地元の弘瀬小中学校の生徒たちもこちらからのルートで妹背山に登っている。
さて、「弘瀬港への分岐」を過ぎると山頂はもう目の前である。分岐から1分ほどで空が開け、山頂の広場に飛び出す。
辿り着いた山頂一帯は200平方メートルほど樹木が刈り払われ、片隅に一等三角点の標石と先人たちの残した山名板がある。ここが妹背山山頂である。
妹背山山頂にて記念撮影。足元に山名板と一等三角点本点の標石がある。
山頂の広場には立木を利用した櫓(やぐら)が3ケ所立てられており、2ケ所は梯子が朽ちて用をなさないが、唯一広場の南の櫓からは展望を楽しむことが出来る。
櫓(やぐら)の上は風が吹くたびに揺れるが、さすがに眺望は素晴らしく、青く輝く太平洋と沖の島の南部が美しい。
まるで南方の無人島で椰子の木に抱かれたようなほのぼのとした気分にさせられる。
だから、そんなステキな眺めなのに先ほどまで高所恐怖症で躊躇っていた伊藤君も、ようやく恐る恐る梯子をよじ登り、櫓の上に上がってきたのだった。
山頂の広場に立つ櫓(やぐら)に登り足摺宇和海の眺望を楽しむ。