石土ノ森 2001年12月2日
石土ノ森と清滝山は虚空蔵山系の東端にあり、両山を仏像構造線と呼ばれる断層が走っている。
石土ノ森は、その山名の示すように石鎚信仰の山として、同じ土佐市の虚空蔵山、岩戸山、高山遙拝所などと同様に信仰の霊地として崇め祀られており、中世以降清滝寺を中心として土佐市の北に連なる山々で修験の信仰が栄えた折りにも中心的な存在であったと推察される。
一方、現在石土ノ森を有名にしているのはこの山の尾根にあるパラグライダー基地で、休日ともなれば若者を中心に賑わいを見せ、石土ノ森の上空にはカラフルなパラグライダーが競演する、スカイスポーツの新しいメッカともなっている。
そんな土佐市の北山に遊んでみようと、高知市から伊野町を経て土佐市に入る。
主要道を外れ、民家の軒先に下がっている吊し柿に初冬の光景を見ながら四国霊場35番札所『清滝寺(清瀧寺)』に向かって車を走らせる。今回の石土ノ森散策は清滝寺の上方にある登山口からアプローチする。
清滝寺までは四国霊場ということもあり指標が豊富で迷うことはないが、坂道になってからは道幅が狭く対向車とのすれ違いに苦労する。
道の脇には高知県の特産である土佐文旦(ブンタン)が色づいて収穫時期を迎えている。土佐市はブンタンの産地としてつとに有名であり、清滝寺の一帯にも黄金色のブンタン畑が広がっている。
ところでこの日、お遍路さんを乗せた一台のマイクロバスが車道をふさいで停車していた。
何ごとかと見ていたら、なんと、白装束の老年の男性が道ばたのブンタンをもぎ取り素知らぬ顔をしてバスに乗り込んだ。お遍路さんにいつも同行してくださっているという弘法大師様はこの行為を何と思われたことだろう?、説教くさいが背中の「同行二人」の文字が何だか淋しく見えてしまった。
年中お遍路さんの姿が絶えない四国霊場35番札所「清滝寺」。正面が本堂、左に大きな薬師如来像が見えている。
狭い道を登ると清滝寺に着く。清滝寺の境内からは土佐市街の展望が素晴らしい。
清滝寺は養老7年(723年)に行基が本尊を薬師如来として開山し、後に弘法大師が四国霊場として真言密教を伝えたという。弘法大師は本堂の北の山中にて17日間修行した後に金剛杖で壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池ができたことから、この寺を「医王山鏡池院清滝寺(いおうざんきょうちいんきよたきじ)」と改名したとも伝えられている。
清滝寺には国の重要文化財「木造薬師如来立像」の他、3点の懸仏(かけぼとけ)や琴平神社本殿などの県指定文化財や、県指定史跡の高岳親王塔(たかおかしんのうとう)がある。
高岳親王(真如)と逆修塔説についてはともかく、高岳親王塔のある「不入山」一帯の結界には素人ながら興味を惹かれる。
前方後円墳形に並ぶという五輪塔群や辺りに埋納されている石仏群など、詳しい調査が待たれる。
さて清滝寺からは、高岳親王塔のある小丘「不入山」と清滝寺との間を、「四国の道」の矢印「土佐市街へ4.3km」に従い、寺の裏手へと狭い道を進む。ここからは更に幅員が狭く、農作業車両も多いので場合によっては寺の境内を借りて駐車した方がよいかもしれない。
寺からすぐの分岐は真っ直ぐに登る方に行き、間もなくパラグライダー場に向かう林道分岐と出会えば、ほどなく「閼伽井の泉(あかいのいずみ)」である。
先述したように、弘法大師が杖で突くと清水が湧き出たという泉がこの「閼伽井の泉」で、道の左手(山手)に説明板も立てられている。
登山口へは更に狭い道を進んで行き、左へとヘアピンカーブを折りかえして少し行くと、道は尾根の三叉路(歩道を含めると正確には十字路)に出て、ここにはカーブミラーが設置されている(下の写真「B」地点)。
車は付近で適当な場所を探して駐車することになるが、農耕車があれば最悪の場合引き返さなければならない。
登山口付近(画面右方向が東方位)、画面の右手はミカン畑。A、Bどちらから登っても画面左奥で合流する。
清滝山には清滝寺を中心にミニお四国八十八ケ所(*1)が配置されており、B地点から東(写真右方向)には60番の案内板が見えている。ここから画面左手方向へと、果樹園と植林の間の道を歩いて行く。
あるいは、その手前のA地点から、両側に薄暗い植林の石垣が迫る道を緩やかに登って行く道を選んでも良い。
私は往きはB地点から登り始めて、帰途にA地点に下り立ったが、いずれにしてもすぐに道は小さな祠のそばで合流する。
(*1)清滝八十八カ所は嘉永5年(1852年)に当時の清滝寺住職「無動」により設けられた。
このとき、無動僧侶は四国八十八カ所の各霊場から本堂下の土を集め、清滝寺を中心に清滝山山腹一帯に四国霊場を模し石像仏を配置してその下に土を埋納したという。
ともかく、尾根の十字路から西につたうか、尾根の十字路手前から薄暗い植林に踏み込み一歩を踏み出す。
いずれの場合もすぐに道は合流し、そばには小さな祠がある。
耕作放棄された段畑に植林された木々が陽光を遮って薄暗い中を登って行くと、登山口から約3分で左手の山肌に駆け上がる小道と出会う。
この分岐には「石土の森登山口」と書かれた白い看板が掲げられている。清滝山経由石土ノ森へと、この山手の道に駆け上がる。ここから登山道はほぼ尾根伝いに山頂へと向かっている。
なお、ここを真っ直ぐに行く道はかつて佐川方面から清滝寺参詣に使われたいわゆる「お大師道(*2)」で大堂山を経て日高村方面に向かっている。
(*2)このお大師道については山崎清憲著「続高知のハイキング」に詳しい。
「石土の森登山口」と書かれた看板の方(左手山肌)に登って行く。
照葉樹林の中を5分足らずで登山道は分岐になるが、ここはどちらに向かってもすぐ上で合流する。この分岐は気にしていないと見過ごすかもしれない。
ところで、少し行くと右手の林の中にイノシシのくくりワナを見つけた。ここのはプレートの付けられた正規のワナであり、万一足をとられても慌てずほどけばよい。
落ち葉の降り積もった登山道はやがてシダ類におおわれ、勾配も急な上り坂になる。
葉をふるった樹々の隙間からは土佐市の街が見えている。
清滝山のてっぺんまでもう少し、尾根を登って行く。
やがて登山道はなだらかになり道の脇には耕作地跡であろうか、石垣が認められる。この辺りの林は少々薄暗く、南麓ににぎやかな市街地のあることを忘れてしまうほど静閑としている。
この辺りだろうか、その昔、清滝山には「赤亡霊」が住んでいたといわれ、地下(ぢげ)の鴨猟師が真っ赤な大入道の妖怪に出会い命からがら逃げ帰ったという怪奇譚が残されている。
少々話が逸れるが、山に住むあるいは山で出会う妖怪(怪人)には全国的にも「赤いもののけ」が多く、高知県の場合もいくつかの文献に「赤い怪人」の記述が見られる。
「両眼光る事すさまじく面は赤く口は広く(南路志−大海集−より、須崎の怪人)」、「其尺八尺計も有るべし火の如く赤き髪を被りて立て居たる(南路志−神威怪異奇談−より、沖ノ島の怪人)」「頭髪赤きこと朝日影を明鏡の中にうつすが如し(白湾藻−土陽渕岳志−より勝賀瀬の赤頭)」などなど。
同じく山に住む怪人「山爺」と比べるとその風姿は洋風的で大男(または大入道)として語られることなど、ひょっとして異邦人だったかも知れないと思うのは私の突飛な想像だろうか、、。
ともかくもそんな林も間もなく明るい尾根に出ると、左(南)方向が刈り払われて見晴らしの良い場所になる。
清滝山の祠の手前あたり、マツの木越しに土佐市の街並みを見下ろす。正面には御領寺山系(横瀬山系とも呼ばれる)が横たわっている。
展望の開けた尾根を進むと、ほどなく清滝山の祠に着く。ここまで登山口から約25分。
小さな石鎚神社の祠は尾根道の左手、岩の上に安置されている。その周りには数本のマツの木が立ち、オトコヨウゾメ(*3)やカラタチイバラ(*4)が赤い実をつけている。ここからも南に土佐市の街並みが少し見下ろせる。
(*3)私の生まれた地方では単にヨウジメとも呼ばれ粘りのある木質はゲンノウの柄に最適であった。その赤い実が熟れると私たちにとっては最上のおやつでもあった。
(*4)高知県で俗にカラタチと呼ばれるのはサルトリイバラで秋の山行きではしばしば難儀させられる。
清滝山の祠。その向こうには石土ノ森の尾根筋が見えている。