石見寺山  2003年4月26日

高知県にも四国霊場八十八ケ所を模した「ミニお四国」は数多い。
現在のように自家用車で四国中を気軽にまわれる時代ではなかったから、「ミニお四国」は様々な事情で本格的な巡礼ができなかった人々のための大切な拠り所であった。
しかしそんな「ミニ霊場」も現在では参拝する人が少なく、石仏は散逸したりして88体すべて揃っているところもそう多くはない。
しかし、今回登る石見寺山は土佐市の清滝寺や虚空蔵山などと同様に88体すべてが揃っており、ここに紹介する回遊コースで歩けば、ハイキングを楽しみながら、きっと八十八ケ所巡りの御利益を授かることができると思うのだが、、、。

今回巡る石見寺山八十八ケ所の1番札所は山麓の走川集落角地にあるのだが、今回の私たちはそうとは知らないで、山腹にある石見寺の駐車場にマイカーを置いて、駐車場脇の石段から登り始めた。ここには9番札所法輪寺の本尊である涅槃釈迦如来の石仏があり、石段を登り詰めて山門をくぐると石見寺の境内に出る。
もしもどうしても順打ち(1番から順にまわること)で巡りたい時は、一旦石段を下るか、麓の安並スポーツセンターに車を止めてから歩くと良いだろう。

 
石段を登り、山門を抜けると石見寺の境内に出る(左)。ミニお四国の石仏は立派な本堂のまわりに配置されている(右)。

ところで、石見寺は浄瑠璃山東光院と号し、本尊は薬師如来で、西暦804年、弘法大師空海の開山と伝えられる。
南路志には永徳年間(1381〜1384年)に旧地より下方に堂寺社を造立とあり、それ以前は山頂付近にあったものと思われる。その後、石見寺は移築や幾度もの焼失や再建を繰り返し、明治初めの神仏分離による廃寺を経て、明治27年に安芸郡川北村(現安芸市)の長正寺の建物を移築して再興されものである。
江戸時代には京の醍醐寺報恩院の末寺として、寺領1町、末寺26寺を擁し、元39番札所として四国八十八ケ所霊場の随一であったと伝えられる。
石見寺より見下ろす中村市は、土佐の小京都と呼ばれ、応仁の乱を避けて応仁2年(1468年)にこの地に下向した前関白一条教房(いちじょうのりふさ)によって京の都を模した町づくりが行われ、以来、公家大名化した一条氏は五代百有余年にわたって一帯を支配し、世に言う一条文化を花開かせたのである。
その小京都中村の御所にあって石見寺山の方角(北東)は都の鬼門に当たり、そこで一条氏は石見寺山を比叡山に、石見寺を比叡山延暦寺にみたてて鎮守寺(鬼門除けの道場)としたといわれる。
なお、石見寺山は正確には高石見山(たかいしみやま)と呼ばれ、そのやまなみは一条氏が京を偲んで「東山」と呼んだとも言われる。


石見寺の裏手から墓地を抜けていよいよ山道へ。

そうしたゆかりの石見寺境内に配置された数体のミニお四国の石仏を訪ねてからは、本堂の右手に延びる舗装された車道を歩くと墓地を抜けて山道に入る。ここには山頂まで1872mと書かれた輪切りの丸太製道標があり、そばには杖も用意されている。
林に入るとすぐ左手に20番札所の石仏があり、右手にはタイミンタチバナの木に樹名板が添えられている。
アカマツやヤマビワ、ネジキ、ナナミノキ、カンザブロウノキなど、中村市の事業により設置された樹名板のプレートを読みながら植物観察もできるように、行き届いた整備がなされている。
石見寺の境内から15分ほど登ると右手にホウライチクの林を見てほどなく24番札所「最御崎寺」の石仏に出会う。ここからはいよいよ、私たちにはお馴染みの高知県の霊場が続く。

ところで、石見寺山に配されたミニお四国の石仏は、弘法大師信仰の厚かった中村の豪商「木戸文右衛門」の手によるもので、安政年間(1854〜1860年)にその形が整ったと言われる。
石仏の中にはその後に取り替えられたものもあるが、四国八十八ケ所が現在の形に形成される過程を知る上で興味深いものがある。
例えば、最御崎寺は東寺、金剛頂寺は西寺と刻まれ、安楽寺は一宮神宮寺、雪渓寺には高福寺、岩本寺には五社と彫られてあったりする。


参道は、送電鉄塔の広場を通過する。

さて、コナラ・ヤブツバキなど照葉樹林の中のよく手入れされた参道を快適に進む。
左上にモミの大木を見ながら、右手にコシダの繁茂するヒノキ植林の縁を行くと、間もなく送電鉄塔巡視路の分岐になる。
ここは真っ直ぐに、ツツジの花びらを踏みながらヤセ尾根を行くと「NO.111」番の送電鉄塔のもとに出る。傍らには休憩用に木製のベンチも用意されているが、私たちは休まず先に向かった。
送電鉄塔のすぐ先で鉄塔巡視路が南西に下っているのを見送り、参道を道なりに登って行くと頭上には花盛りのオンツツジが美しい。
今年はツツジの表年か、どこに出かけても例年になく花付きがよくて私たちの目を楽しませてくれる。

 
案外急な坂道もあるが、その都度迎えてくれる石仏は今も昔も心の「杖」である。

26番札所金剛頂寺の石仏を過ぎ、ウラジロシダやヒサカキ、カクレミノなどの樹名板を眺めながら坂道を登ると、27番札所神峯寺の本尊である十一面観音の石仏から山道はいっときなだらかになり、右手には木々の間越しに山頂が見えてくる。
やがて登山道は28番札所大日寺の石仏で尾根に乗ると「ここから苦しい登り、がんばって!」の看板が見えてくる。
それによれば山頂まではまだ距離にして850mもある。
これからしばらく続く登り坂に、気持ちを切り替えるように立ったままで小休止する。

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