陣ケ森 2001年3月24日
3月も下旬になると雨の日が多くなる。春のこの頃の雨(菜種梅雨)を、私たちは「木の芽起こし」と呼んでいる。木々たちや草花にとっては嬉しい雨だが、まだ肌寒い日も多い山行きにはあまり歓迎されない雨でもある。
この日は下り坂だった。朝から重い雲が立ちこめ、所によっては午後から雨が落ちてくるとの予報だったので、「遠くの山」はまた今度にして近くの手頃な山に出かけよう、ならばこれから見頃のアセビの山に行こう。こうして、本当に久しぶりの陣ケ森に向かった。
「工石山陣ケ森県立公園」の一角である陣ケ森は、古くから人々に愛されてきた山らしく登山ルートはいくつかあるが、もっともポピュラーな土佐町峰石原の駐車場から登ることにする。ここへは国道439号線の「郷の峯トンネル」東口を折り返し、林道峰石原線に乗り入れて、(トンネルから)車で20分程度もあれば到着する。案内板がしっかりしており迷わず車道終点の広場(登山口)に着くことができる。広い駐車場にはトイレや案内板などが設置されている。
駐車場脇に立つ看板(案内図)のそばにある登山口から、広くて良く整備された道を登って行く。両脇は放牧場で、登山道のそばには鉄柵が設けられている。
芽吹き始めた木々や花をつけたアセビが続く中、左手には雪光山(国見山)、後方には工石山(前工石)やアンテナの目立つ三辻山などが見える。
ほんの数分で陣ケ森山頂の尾根筋も視野に入ってくる。
丸太で土止めされた階段を登って行く。両側は放牧地になっており、牛が戯れていることも。手前で花盛りなのはアセビの花、登山道では数え切れないほどのアセビと出会える。
広くなだらかな陣ケ森山頂には、登山口から距離500mの坂道を15分も歩けば到着する。ここまで直登なので少し息は上がるが汗をかくほどではない。もちろん今年2度目の同行である浜田さんの表情にも変化は無い。
山頂には、以前にはなかった休憩所が建っており、周りの木々も確実に大きくなっている。前回アンテナを持ってここを訪れた時には、容易にアンテナを木々の上に差し出すことができたのだが、、、
なお、山頂には陣ケ森城(あるいは、吾北村に存在した地名を冠して田野々城とも)呼ばれる城跡(現在では砦と考えられている)があったと伝えられている。
陣ケ森山頂、右手に山名板と2等三角点の石標がある、周りの木々が育ち展望は南に限られる。
簡単な休憩だけで、早速山頂を後にして、アカマツやアセビのハイキングロードを緩やかに下って行く。
5分あまりで鞍部を過ぎ、丸太の土止め階段を登って行くと、スズタケが両側で壁を作っている。
登山道にはいたるところにアセビの木があり、小さくて可愛い花が頬をなでるような所では、ついついその美しさに見入ってしまう。
アセビは新芽の色や花の色に変異が多く見ていて飽きない。私は純白が好きなので、そういう花に出逢うと立ち止まってはカメラを向けてしまう。
登山道にはアセビの他にイヌツゲも多い。目の前の階段を登ると丸山広場に出る。
小ピークを過ぎて再び丸太の土止めを上がり終えるとアセビの点在する広場に着く。
休憩所やトイレ、ベンチや展望図、案内板などが設置されたここが「丸山広場(標高1029m)」である。
陣ケ森山頂からおよそ700m、徒歩約15分の道のりである。
庭園のようなアセビの群落を眺めながら、平坦な丸山広場を行く。
広場を少し散策してから、西にその頂の見えている「戸矢ケ森」へと向かって再び歩き出す。
広場の突き当たりは左折し(右はトイレへの道)南に少し下ると、広々としたカヤ原に出る。左手(南)には雪光山や工石山がずっと見えている。
ふり返ると、山肌に点在するアセビの緑が絵画のような風景を描いている。(陣ケ森トップの写真はこの少し手前にて撮影)
このカヤ原は、かつて茅葺き屋根の材料として、あるいは田畑の肥料とするための採草地として、陣ケ森が地域生活と密接に結びついていた名残でもある。
丸山広場を過ぎ、西にあるカヤ原。正面左奥に戸矢ケ森が覗いている。
丸山広場からおよそ15分、登り坂で右手に踏み跡が見つかる。本線(登山道)を逸れて踏み跡を辿ると岩場に出る。ここから後方(東)をふり返る展望も捨てがたいが、更に本線を2分ほどで左手にも岩場があり、こちらからは後方の展望に加え南の眺望も素晴らしく、足元には国道439号線沿いの吾北村の集落も俯瞰できる。なお、この南の岩場への入り口は「←至・川窪登山口(あと2.951m)、至・陣ケ森(あと1.616m)→」の看板のそばにある。
登山道の南にある岩場から丸山広場の峰をふり返る。