頂上の岸壁が見える辺り(標高約1070m)から、標高差40mほどの急登を一気に登る。
木の根を引き寄せ、登り切ると稜線に出る。
ここまで窓ケ岩から10分あまり。


登山道の右手には鎌滝山の岩塊。この岩壁の上に山頂があり、かつて修験の山であった頃の名残として鉄の鎖が下がっている。

一気に稜線に出てからは、かつてのウィンチ索道跡を越して、すぐに山頂に出る。
ここまで、歩き始めた一番下の登山口からは約1時間20分ほど。

鎌滝山の頂は狭く、三等三角点の石標の傍らには、蔵王権現が一体祀られている。
蔵王権現はかつての修験の道に向いて座しており、足元には鎖が残っている。この鉄の鎖は山頂の南の断崖へとさげられている。岩場に生える樹木が無ければ目もくらむ断崖に、鎖はまっすぐに垂らされている。
かつて、鎌滝山には3つの鎖場があり、現存する頂上直下の鎖場は3の鎖と呼ばれていた。
この鎖を握りしめ、幾多の石鎚信仰の修験者がこの地を訪れたかと思うと感慨深い。


鎌滝山山頂。中央やや右手に三角点の石標、足元には鎖が巡らされている。

さて、山頂からの眺めは南が開けているのみだが、その展望は素晴らしい。
さきの窓ケ岩で眺めた景色から更に標高を稼いだぶん、同じ早明浦ダム湖を見下ろす風景にも新たな驚きがある。
一人でお茶を飲みながら眺めていると時刻(とき)のたつのを忘れてしまい、ダム湖で水上バイクやボートに興じる人たちのたてる白波を眺めながら、隔世の感をいだいてしまう。


山頂からダム湖を眺める。

ところで、山頂から更に東へと踏み跡を10分ほど下ると、道の右手に大きな岩が座している。
岩松の木数本と馬酔木(アセビ)に囲まれた岩の上に立つと、眼下には自然林が広がり、秋の紅葉は鮮やかである。この岩の上からは、山頂で望めない北東の景色が素晴らしい。


山頂から東の岩の上からの眺望、左のピークは本山町の白髪山、右端がきびす山。右下には本山町の屋所や沢ケ内(そうがうち)の集落が認められる。

たっぷりと展望を楽しんだ後は、山頂まで引き返し、来た道を帰る。
帰途は山頂から窓ケ岩まで10分、尾根の合流点までさらに5分あまり。
なおも尾根を下るなら、鉄塔跡地を抜け、馬酔木(アセビ)の新芽が美しい中を下り、20分あまりで伐採跡地の展望所に出る。ここでなおも尾根を忠実に辿ると林道の真上で道が判然としなくなり、古味から延びてきた林道の切り崩しで立ち往生してしまう場合もある。そんな時は迷わず左手にトラバースして林道に降りれば、もと来た道に出会えるだろう。(現在、古味からの林道がこの尾根道を分断しているために、このような小さな危険がともないます。従って、帰路は来た道を引き返すことを勧めます。尾根の手前の丸太の標識で、尾根に行く道をお勧めしたのは、帰途で迷ってしまわないための布石でもあります。)

古味からの林道まで降り立てば、屋所との分岐まで4分、作業道からの分岐まで更に6分、作業道を下ってハウス脇を戻り、下の登山口まで更に15分ほど、都合、山頂から50分あまりで登山口に帰り着くことが出来る。

備考

現在、鎌滝山を祀る、石鎚信仰の社は、早明浦ダム堰堤の元にある「大蔵山(大倉山/おおくらやま、一部には小倉山/おぐらやまとも呼ばれる)」の中にある。


吉野川に面する大蔵山、山肌にはオオヤマツツジが映える。山中に石鎚神社がある。

大蔵山は、汗見川の入り口にあり、小さな橋を渡って南東に遊歩道を折り返し、少し行ったところで山肌に這い上がる道へととりつき、上の道に合流したら右手の植林の中に、石鎚本教土佐嶺北教会の神殿がある。神社まで橋から10分程度。
ここには石鎚毘古命(いしづちひこのみこと)の碑があり、「石土毘古命(いしづちひこのみこと)または石鎚大神(いしづちおおかみ)とも申し上げ、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をお産みになった伊耶那岐命(いざなぎのみこと)伊耶那美命(いざなみのみこと)の第二の御子にあたられます」と書かれた、設立45周年の立派な碑も建てられている。(*参考>ルビ(読み仮名)は、私が付け足しました)
少なかれ、多くの山でかつての祭事が失われつつあるのは寂しい限りだが、こうして今も麓で信仰が生き続けていることは、山はそこに座しているだけで崇拝の対象となり得る、優れた信仰の対象物である証拠なのかも知れない。



大蔵山にある石鎚神社。