小富士山  2003年12月

それはみごとな天然の造形だった。
朝峯神社本殿は奥ノ院にある大岩は複雑な褶曲と亀裂をもって、まさに女陰信仰の対象物であった。
朝峯神社の主神は木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)であり、天孫邇邇芸命(ににぎのみこと)と結婚し一夜にして妊娠し火中で3人の子供を出産したことから、安産や子授けの神として崇め祀られている。子授けといえば入り口の境内には男根を象った石造物もあった。それにしても、遠い神話世界のことが、あたかも昨日のように艶めかしくも身近に感じられる大岩の洞だった。
朝峯神社の社殿横から山道を歩き始めたとたん、山中にこの洞を見つけ、年甲斐もなく見とれてしまっていた。

「鉢伏山」に登った日からおよそ一月後、穏やかな休日の午後を利用してもうひとつの介良三山「小富士山」に出かけてきた。この山はその美しい山容から介良富士とも呼ばれている。全国に「富士」とつく山は数多いが、その富士山の浅間神社を勧請したのが小富士山の麓にある朝峯神社であり、その祭神の木花之佐久夜毘売がこの世にまたとない「不二」の美女であったことも「富士」の由来という。なるほど浅間(あさまのみね)が転訛して朝峯(あさみね)となり、豊かな稔りを祈る陰陽信仰の女陰石がご神体なのも肯ける。
その朝峯神社は土佐に21社ある延喜式内社のひとつとして長宗我部氏や山内家の保護をうけ、安産や子授けの他、女陰岩から湧く清水を拠とする酒造や水商売、豊作や火伏など、それは様々な御利益に恵まれるという。願いの数だけ信仰があり、信仰の数だけ救済の神が八百万(やおよろず)存在するのであろう、それこそ枚挙にいとまがない。そのため、社殿には立派な絵馬や太鼓など多くの捧物が認められる。
ところで私の場合、子授けにはもう縁も薄いが、酒造りと水商売には常日頃からお世話になっていることをありがたく胸に納めて、洞を後に竹林を登る山道へと引き返した。


小富士山への第一歩は朝峯神社の石段から始まる。

朝峯神社から小富士山の山頂に向かう山道は、お世辞にも快適とは言い難い。道と呼ぶには心許ない踏み跡をなぞり、立木にとりつけられた赤いテープを辿って急坂を登ってゆく。
竹林を抜け、落ち葉が滑りやすい照葉樹の林を直登し、植林の縁に沿うようにして登ると、やがて岩の散在する急坂になり、展望の無い雑木林の急斜面を文字通りに這い上がる。超低山だからと安易なズック靴で望むと嫌な目に遭いそうな急坂に、早くも息が上がってくる。
やがて前方に落ち葉を湛えた石段が見えてくると、右手に大きな岩が現れる。その岩の上に立つと西から南にかけての眺望が開ける。
逆光に霞む市街地に五台山が浮かび、その奥に南嶺が横たわり、眼下に介良川の流れが見える。


岩上からの展望。左手の山は五台山。

展望を楽しんだ岩から登山道に戻り、立派な石段を登るとたちまち産宝(さんぽう)さまの祠に着く。
宝を産む神として大岩に三方を囲まれ大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀る産宝さまだが、今や木造の祠は傷みが激しい。


頑丈な岩に囲まれた産宝さま。

産宝さまの裏に回ると道はしっかりしてきた。なだらかな尾根の雑木林を歩くと、里山だけに麓から市街地の喧噪が聞こえてくる。師走の気ぜわしさのせいか余計に騒がしく感じるが、山中に赤い実を着けたセンリョウなどを眺めながら慌ただしい年の暮れにもかかわらず山を歩いていられる幸せをたっぷり感じる。

快適な山道になると、ところどころに石段を経て、やがて正面に小さなお宮が見えてくる。
これは天照大神を祀る神明宮で、通称お伊勢さまと呼ばれ、伊勢神宮の遙拝所として建てられたものである。


お伊勢さまの宮。

お伊勢様からは、右手に見えるコースサインに従いトレースを辿り、アセビやカシなど照葉樹の林をなだらかに進む。
やがて山中に大岩が見えてきたら、踏み跡は方向を南に変えて、突然、アスレチック広場に飛び出す。ここは潮見台緑地公園の一画で、正面には鉢伏山が、その左手には市街地を越えて太平洋が見えている。
実は、小富士山の頂はこのアスレチック広場の裏手で、先ほど回り込んだ大岩の辺りなのだが、特にこれといったサインは見当たらない。1/25000図にある標高170mの独標点も、実際に足を運んでみれば、単に地味な林の中でしかなかった。


アスレチック広場に出ると、正面に鉢伏山が見える。

さて、アスレチック広場からは潮見台団地を経て山麓を回遊することにする。
広場の片隅から土止めの階段を下り、右手にとると鉢伏山に見守られながら潮見台団地に向かってジグザグに下ってゆく。
山中にはたくさんの小鳥がさえずり、私のすぐそばまで飛んできては遊びはじめた。市街地の小鳥たちはずいぶんと人慣れしているようだ。
鉢伏山が見上げる高さになり、団地の子供達の元気な声が次第にはっきり聞こえだすと、潮見台緑地の看板が見えてきて、階段を下れば潮見台団地に下り立つ。


潮見台団地から見る小富士山。左下が潮見台みどりの広場。

潮見台団地からは、右下に見える芝生(潮見台みどりの広場)の中央に向かって下り、鬱蒼とした竹林をめざす。
ボール遊びに興じる子供達の間をすり抜け、モウソウチクの林に吸い込まれてゆく。
モウソウ林を抜けると、雑木林やヒノキの植林になり、山中から子供達の声が聞こえてきた。どうやらところどころにまとまって生えたマダケが子供達の秘密基地になっているようだ。

山道に墓地が見えてくると掘れ込んで窪まった道を下り、途中から滑りやすい敷石の道を辿ると、周囲が開けてきて民家が見えてくる。
小さな溝の縁を辿って車道に出ると、改修されたばかりの水路に沿って車道を歩く。そのまま麓を回り込むように歩けば登山口である朝峯神社は近い。

ところで、私の場合は少し寄り道をして、山中に残る戦争遺跡「錦兵団記念碑」を訪ねることにした。
水路の脇に立つ道標に従い、薄暗い林の中の山道に入ると、かつての兵舎跡だろうか幾つもの石垣が現れる。やがて朽ちかけた木製の標柱を足もとに見ると、左に折れてすぐに立派な石積みが現れて、錦兵団司令部跡の記念碑に着いた。
長楕円の自然石には「嗚呼、錦兵団司令部之跡、昭和20年9月12日師団解散ニ方リ第11師団長陸軍中将大野廣一書」と記されている。


錦兵団司令部跡之碑。

終戦間近い1945年(昭和20年)6月、米軍の本土上陸を阻止するために、四国防衛軍が編成配備され、急遽満州から引き上げた第11師団(呼称「錦兵団」)が物部川河口から須崎までの防衛任務についたのである。
本土決戦を覚悟して大本営陸軍部が配布した不条理な「国土決戦教令」に従い築城作業を進めた錦兵団も、まもなく終戦の詔をうけて解散をすることになり、そこで、「嗚呼錦兵団司令部之跡」と刻する記念碑を建立し、これを保存するために当時の介良村村長に金壱千円を委託したのである。(昭和20年9月12日付:記念碑保存ニ関スル依頼趣旨書:第11師団参謀長横田洋、他資料より)

しかし、当時の壱千円がどれだけの価値かも分からない私だが、このいしぶみが暗い山中に埋もれゆくことを私は淋しく思う。
あるいは当時の錦兵団の人々の思いとは異なるのかも知れないが、二度と再びあの悲惨な戦争を招かないためにも、この碑を眺め胸に刻むべきことは多いように思う。
少なくとも、あの戦争さえなければ、私は祖父と様々なことを語り合えただろうから。
幼子を残して戦地で帰らぬ人となった祖父を慮りながら辿る帰途は、疲れるはずもない里山歩きにかかわらず、その足取りはひどく重かった。




私のコースタイムは以下の通り。
【全行程】
朝峯神社登山口<15分>産宝様<4分>お伊勢さま<3分>アスレチック広場<10分>潮見台みどりの広場<16分>錦兵団記念碑<6分>登山口
=54分

*錦兵団記念碑に立ち寄らない場合はみどりの広場から登山口までの所要時間は13分ほどです。


登山ガイド

【登山口】
高知市介良の介良通、北島バス停から南に向かい、介良川に架かる朝峰橋を渡ると朝峯神社があります。神社の右手には駐車場があります。今回紹介したコースの登山口はこの朝峯神社から始まります。

【コース案内】
朝峯神社の社殿左横から奥に向かうと山道が現れます。竹林を登り、赤いテープを辿って急坂を登ります。少し分かり難いかも知れませんが、注意して踏み跡と赤テープを追いかけてください。やがて産宝さまに着くと、その背後からは道がはっきりしてきます。その山道を進むと、お伊勢様を経て、やがて少し下るとアスレチック広場に出ます。ここから下る道が左右に2本ありますが、どちらを下っても潮見台団地に下り立ちます。ここでは右に下る道を利用しました。
潮見台団地からは右下に見えるみどりの広場に下りて、中程から竹林に下る道に入り、その山道を道なりに下れば麓の集落(宮城)に出ます。後は車道を歩いて登山口に帰ります。
なお、文中で紹介した錦兵団の記念碑は、麓に下りて車道に出ると、30mほど歩いた所で、水路を挟んで右手に「この上に登る四百五十米、嗚呼錦兵団第11師団司令部跡碑」と書かれた標石が現れます。ここから民家の裏に向かうと、山道の入り口にも標石があります。山中に入り横道に出会うと右に折れてなだらかに登ると、やがて「十米登る」と書かれた木製の朽ちかけた標柱が現れます。ここを左に登るとすぐに記念碑が見えてきます。なお、帰途はもと来た道を引き返した方が無難ですが、横道をそのまま進めば悪路ですが朝峯神社の横にある駐車場に出ることもできます。



備考

小富士山の標高は地図上では170mとなっていますが、ここでは、ハイキングマップ「介良史跡自然めぐりコース」に記載されている標高165.3mを採用いたしました。

時間に余裕があれば、介良三山のひとつ鉢伏山を歩くのも良いでしょう。介良の史跡や自然を紹介した 「介良史跡自然めぐりコース」のハイキングマップは介良ふれあいセンターなどにあります。マップについての詳しいお問い合わせ先は、高知市市役所まちづくり推進課(電話 088-823-9080)です。なお、介良三山のうち「高天ケ原山(高間原山)」は禁足地のためご注意ください。


「やまとの部屋」トップページへ