さて、やがて山頂まで100mの看板を過ぎると、照葉樹達が皆奇妙な形をした林を過ぎて香山寺の山頂広場に出る。

山頂一帯は市民の森として整備がされている。
参道から上がってきたところには一本の銀杏の木が立ち、株もとには石仏が祀られてある。
向かいには東屋風の休憩所があり、正面には三重塔を模した展望台が異彩を放って聳えている。
そして右奥の石段の上には山名の由来ともなった宝生山求聞持院香山寺(南見山高寿院とも号し、山号は他に補陀洛山とも称する)の寺堂が建っている。

香山寺は高山寺ともいい、弘法大師空海の開山と伝えられる。
本尊の十一面観音も空海の作と伝えられ、かつては7堂伽藍を有する大寺であったといわれる。
嘉禎3年(1237年)の文書によれば幡多荘内最高の霊地として一条家(この頃は九条家)はもとより荘内一円の祈祷所でもあったという。しかし、現在のお堂は明治4年の廃寺を経て、昭和30年代に建て替えられたものである。
ところで、香山寺に留錫(りゅうしゃく=僧などが寺などに一時的にとどまること)した高僧に「南仏上人(金剛福寺別当)(*2)」がある。その上人を彫った木像「南仏上人座像」は室町時代の作として高知県指定文化財となっており、香山寺の麓にあった南仏堂(皇子神社<一ノ王子>の場所)から現在は幡多郷土資料館に移され展示されている。
それにしても香山寺がいかに信仰を集めていたのかは、ここまで歩いてきた参道の様子で理解して余りあるというものである。

(*2)南仏上人は金剛福寺の中興の祖として有名。活躍したのは1200年代後半といわれる。


登山道から広場に出ると正面に三重の塔を模した展望台が見える。

ところで、その香山寺のお堂を取り巻くように、付近には西国三十三番札所の石仏が配置され、歴史ある石仏の数々が風雪に耐えている。
また、広場の片隅には樹齢500年といわれる大きな杉の木も年輪を刻んで立っている。
しかしこの杉は幹が空洞になっていてそこからは2本のモウソウチクが顔を出しており、株元には「いのちのとうとさ(命の尊さ)」と書かれた看板が添えられている。風が吹くたびに2本の竹が杉の幹とこすれあって不気味な音を響かせているのには、哀れさと同時に、頭上の葉の緑に自然の逞しさをも感じる。

そして、広場には真っ赤なよだれかけを纏った「子授地蔵」も奉られている。
それは円筒状の石の六面(ほぼ六角柱)に童顔の地蔵が彫られており「六面憧形地蔵」と呼ばれている。いわゆる六地蔵の変形であり、道祖神的要素も兼ねた庶民的な地蔵である。

 
空洞になった大杉(左)と献花の絶えない子授地蔵(右)。

さて、一通り散策を終えると、今度は広場でひときわ異彩を放つ三重塔を模した展望台に登ってみることにした。
螺旋状に階段を登り、最上階の展望所に出ると、そこからは小京都中村を育む美しい自然が一望に見える。
東を望めば香山寺を見下ろし、四万十の河口が扇を広げて大海原に注ぎ込み、北には土予県境のやまなみが空に溶け込んで見える。
四万十川を渡る赤鉄橋の向こうには、小京都中村の比叡山「石見寺山」が横たわり、その奥には大方町の最高峰「仏が森」が覗く。
ここからは爽やかな海風を頬に受けながらゆったりと眺望を楽しむことができる。

  
展望台から香山寺を見下ろす(左)。中央に石見寺山が横たわる(右)。

ところで、香山寺の山頂には世界中から集められた総本数400本あまりの藤が植えられ、いくつもの藤棚が整備されている。
4月中旬頃からは三重塔の展望台のまわりや、駐車場の上段に設けられた藤棚では美しい花が競い合って咲き、多くの人々の目を楽しませてくれる。


香山寺を取り囲むように西国三十三番札所の石仏が並ぶ。

その他、市民の森にはログハウスや展望台、アスレチック広場などがあり、休日には子供達の元気な声が響いている。
しかし山頂の特等席にはアンテナ塔が建っており、公共性を考えるとこれは致し方のないことかもしれない。

ところで、こうして山頂まで立派な車道が整備され「市民の森」として有効活用されているかたわら、昔ながらの参道にも指導標が設置されたりして「里山ウォーキング」の場として細やかな手が入れられていることは本当にありがたいことである。
が、しかし、若いアベックや子供連れの行楽客が溢れる中で、ハイカットの登山靴を履いて45リットルのザックを背負い「山男然」とした私の姿はなんだか場違いのようにも思えて無性に居心地が悪くなり、予定通り山頂まで迎えに来てくれていた車に乗り込むと、慌ただしく香山寺を後にしたのだった。


三重塔の展望所からアンテナ塔を見る。

そうして幡多路での山遊びをあれこれ語りながら家路を急いだのだが、ただ、その時私はなんだか忘れ物をしたように心に引っかかるものを感じて仕方がなかった。そして、それが何なのかは、香山寺から150km離れた我が家に帰り着いてからようやく気がついた。
「そうだった、香山寺の三角点を確かめていなかった。」
何だか場違いな雰囲気に駆られて忘れてきてしまったのである。
私は三角点ハンターではないのだが、せっかく登ったのだから3等三角点の標石を一目見てきても良かったのである。
しかし、残念だと思うかたわら、そのおかげでもう一度香山寺に出かける理由もできた。
今度出向く時には、子授地蔵の裏に寂しく座していた石仏や、山中の石碑の謂われでもあらためて探ってみようか、と思う。
そしてその時にも、あの「大杉」が倒れないで迎えてくれることを心から祈るのである。



*全行程の私の所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
登山口<3分>七丁<13分>四丁<6分>一丁<3分>香山寺市民の森
=計25分

*今回のコースタイムは片道だけですが、通常なら往路の6〜7割(15分〜18分)程度で下山することができるでしょう。


備考

登山道に水場はありません。

香山寺市民の森山頂の開園時間は、3月16日〜9月30日までは午前9時から午後7時まで、10月1日〜3月15日までは午前9時から午後4時半までです。詳しくは中村市公園管理公社(34−0808)までお問い合わせください。

香山寺山頂の三角点名は「こうんじ」ですが、香山寺は正確には「こうんじ」です。歴史ある香山寺(こうんじ)は中村市のいくつもの学校の校歌にも登場しています。
なお、山名については、寺堂である「香山寺」と区別する意味でか最近では「香山寺」という表現も見かけますが、ここでは無理に「山」を付す必要はないと判断して、昔ながらの「香山寺」のままとしました。


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