展望のかわりにシロモジの花に慰められながら歩を進めると、やがて正面にこんもりとした森が見えてきて、広々とした峠に出る。
ここが三郷越えで、山田郷、本山郷、豊永郷の三郷にまたがる往還の峠である。峠のすぐ東には小高い三傍示山がある。
三郷越えの道は、土佐山田新改から平山越え(甫喜ケ峰)を経て、飼古屋から明神岳を通り、本山町古田、権代に抜ける尾根沿いの往還であった。
峠には2mほどの岩の上に「明治十五午年、古田村」と刻まれた品の良い地蔵が据えられている。地蔵にちなんでここを地蔵峠とも呼ぶ。
三郷越えの峠で地蔵と対面する。
ところで、この三郷越えが歴史上でクローズアップされたのは、土佐の林業史上、吉野川伐木流しでのことである。
森林の多い高知県にとって嶺北地方の木材は重要な財産であり、特に白髪山のヒノキは米による年貢の代わりとして膨大な量が度々献上されている。例えば寛永2年〜3年(1625年〜1626年)の二条城および大阪城の修復における普請の際は、魚梁瀬のスギと白髪山のヒノキで合計13万本余りが、また、寛永13年(1636年)の江戸城石垣普請にあたっては白髪山のヒノキだけで6万6千本余という膨大な量が献上されている。
その搬出にあたって土佐藩は吉野川を利用した流材(流送)に頼っていたが、増水などにより下流域の徳島藩に度々甚大な被害を与えていた。
そこで土佐藩は吉野川流しの代替えとして樫山山(樫山峠)を越えて高川朝倉川(鏡川)に流すことを計画したが、実地見分の結果不可能となり実施するには至らなかった。その後も頻繁に災害は発生していたものの、徳島藩にしても土佐藩の材が幕府への献上品であることなどからしぶしぶ許可をしていたわけである。
ところが、下流域住民の憤りが日増しに強くなっていたところへ、天明5年(1785年)1月下旬、阿波郡西林村(現在の阿波町西林)において、嶺北からの流材を一時大量に抑留してあった「アバ」が突然の増水により切断され大量の材木が下流域を直撃、多くの民家がなぎ倒されたり堤防が決壊するなど、甚大な被害が発生したのである。
三郷越えで今も道中安全を祈り続けるお地蔵さん。
その後も同様の災害が頻発し、加えて、洪水などによる下流の災害は伐採による保水力の低下が原因でもあるとして、ついに天明8年(1788年)、徳島藩は土佐藩による吉野川流材の全面禁止を決断するに到ったのである。
その後も土佐藩は白髪山のヒノキ献上などに際し再三阿波藩に流材の許可を掛け合い、また幕府も天保9年(1838年)の江戸城西ノ丸造営工事における用材の献上に吉野川筋流通方を徳島藩に下命するが、依然として徳島藩の態度は堅かったといわれる。
そこで窮地に立った土佐藩は材木の山越えを決断し、本山村木能津から山越えで領石川に運び出し、西孕で船積みしたのである。
このルートは正確には分かっていないが、この三郷越えや旧参勤交代道に沿って三国山を越えたのではないかといわれている。
それにしても、多量の材木を曳いて峠を越えたその労苦は並大抵ではなかったはずである。しかも重労働を強いられたのは社会の底辺に位置づけられていた人々である。私の祖先も例外ではなかったであろう。参勤交代道の修復にしても、材木の搬送にしても、今の私たちには想像すら及ばないほど過酷な役だったに違いないのである。更に近郷の住民の役はそれだけではなかった。幕末の激動期になると北山越え界隈には膨大な人の流れが起こり、穴内村送番所は繁忙を極めたというが、その役には番下村々以外からも多くの人々がかり出され、農作業以外にも過酷な夫役に人々は藩政期末まで苦しめられたといわれる。
ただならない往時の苦労を偲びながら、地蔵に別れを告げて南へと往還を辿り始めたら、堪えきれなくなった暗い空からついに雨粒が落ちてきた。
雑木林には満開のミツバツツジが点在している。
用意してあった雨具に身を包むとそぼ降る雨中の歩行を始める。
峠から少しの所で、かつての旅人が僅かな湧水で喉を潤したといわれる水場を林の下方に見やりながら植林と雑木林の境を歩く。
やがて登山道を包み込むように素晴らしい雑木林が始まると、ガスの中からは紫色のミツバツツジが次々と現れては消えてゆく。
緩やかで快適な山道に急ぎ足はもったいないけれど、浪費した時間を取り戻すように少し早足になる。それでも、足もとにお馴染みのスミレ達に混じってシハイスミレやエイザンスミレが咲き誇り、ジロボウエンゴサクが咲いているのを見つけるたびに、歩みを止めては密やかな花たちに挨拶をするのは忘れなかった。
そんな道沿いには艶のある葉っぱが特徴的なキツネノカミソリの大群落もあり、その先には米粒のような花や赤い新芽が美しいアセビの群落も現れる。
そうして山道は再び植林に入るとまもなく展望の良い伐採地の上部を通過することになる。
キツネノカミソリやシコクブシの群落を行く。
やがて索道跡を過ぎると、ますますガスが立ちこめて薄暗く死んだような植林を無言で抜けると再び尾根に出る。両脇に鬱陶しい灌木を払いながら辿る尾根道は、まもなく小高い山の右側をトラバースしてゆく。
ここで折角だからとそのピークに設置されている3等三角点に立ち寄った。三角点名は「樫谷」と呼ばれ、かつての「樫谷村」の境界の山であった。ちなみに、ここではまだ寄り道するだけの余裕が充分にあったのである。
「樫谷」3等三角点にて。
何の変哲もない三角点の標石を写真に収めてから往還に引き返すと、「大豊町猟区」の赤い看板を過ぎてほどなく林道終点に下り立つ。ここからは廃道同然にカヤの蔓延る林道を歩くことになる。
荒れた林道の脇にヤマヤナギを見ながら明神岳に急ぐ。
道端にしょぼ濡れたヤマヤナギを見ながら荒れた林道を行くと、辺り一面にヒノキの苗木が植栽された広い苗木山になり、まもなく林道が5本交差するだだっ広い交差点に下り立つ。この五叉路は広い峠状で、道ばたには「平成5年、皇太子殿下ご成婚記念」と記された植樹記念の標柱が立っている。
ところで、かつての往還はここで林道に寸断され、本来辿るべき尾根道は林道の切り通しのせいで高い崖になっている。
5本とも地図に記載の無い林道だが、そのうちたった今下ってきた林道と、その両側で引き返す方角の林道も除外すれば、残るのは尾根の左右を南に向かう2本の林道のどちらかである。闇雲に尾根に乗るのを嫌った私たちは、ここで左の林道は道遠側に下ると推測し、右手の林道を辿ることにした。向かう明神岳の登山口からこちらに向かって延びてきている林道も尾根の右手を走っていたし、ひょっとすると最近連絡したのかも知れないと淡い期待も抱いた。
しかも、選択した林道がどこに向かうか皆目見当もつかないのに、最悪にしてもいずれはどこかで県道か国道に出るであろうと考えたのははなはだ安易だった。車道は麓から上に向かっているものだという「常識」から「下る林道」がよもや行き止まりとは全く予想だにしなかったのである。
だから暢気な私たちは道の脇に今が旬のタラの芽をひとつもぎふたつもぎしてビニール袋を満杯にしたばかりに、そのバカな行為で大切な分岐点を見逃してしまうのだった。
広い林道五叉路で行き先に戸惑う。
ともかく、五叉路から選択した林道を少し歩くと右手に広々として展望の良さそうな支尾根筋が現れ、まもなく「水源かん養保安林」の看板を過ぎると林道は尾根に接近する。実はここが往還への入り口であり、しっかりした踏み跡を数歩駆け上がると立派な山道が現れる。
ところが、この入り口を見逃してしまった私たちはしばらく迷走を続けることになるのである。
山を下る林道はいくつもの分岐に出会うがそのすべてが行き止まりであることにようやく気づいたのは、林道を1時間以上も彷徨してからのことだった。もっと早く気づくべきだった。下るにつれてカヤや低木が路面を覆い、ひどく荒れてくるのは冷静に考えれば分かりそうなものである。雨の中、長時間の歩行が思考を鈍らせて感覚を狂わされていたのかもしれない。時計の針はすでに4時半をまわり、はなからガスで薄暗い一日だったとはいえ、気温の低下で日暮れが近いことを感じる。
およそ日没までは2時間足らず。最悪の場合はヘッドライトによる別の林道歩きを覚悟してから、もう一度五叉路まで引き返し尾根に往還の道を探すことにしたのだった。
そうして前述の入り口を見つけた時は日没まであと1時間半を残すばかりだった。
運が良かった。これで大したブッシュも無ければ回送したマイカーまでは1時間もあれば辿り着けるであろう。
明神岳への山道を急ぐ。
現金なものである。
不安が解消されれば先ほどまで変に無口だったことが嘘のように、足取りまで軽く、まるで疲れも忘れてしまったかのように往還を下る。
山道は想像より荒れており、お世辞にも快適とは言い難いが、先ほどまでの行く先の知れない林道に比べれば不安感は微塵もない。
往還に取り付いてから約15分後、カサマツの脇を過ぎてほどなく山道は林道終点に飛び出る。とても車は登れないだろうと思うくらい急な勾配の林道を5分ほど下ると林道分岐に立つ。ここには明神岳から歩いてきた場合迷わないようにと赤いテープがたくさん着けられている。
例の分岐にもこれだけのサインがあれば迷わなかっただろうにと一瞬思ったが、山菜取りに夢中だった馬鹿な私たちにはそれでも同じ結果だったろうと今もって思うのだった。
さて、分岐からは左にとって未舗装の林道を歩けば小半時もせずに明神岳登山口の看板が見えてきた。
ヘッドライトで林道を照らしながら下山口に向かう。
今だから笑い話で済ませられるけれど、いろいろ考えさせられる一日だった。
その夜遅く、我が家で開かれた反省会の食卓に上ったタラの芽は、いつもより苦い味がした。
*全行程の参考所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【全行程】
上穴内登山口(参勤交代道入口)<3分>篭すり石<5分>伐採地<15分>嫁ケ石、姑ケ石<31分>山目野分岐<38分>第1の展望岩<7
分>第2の展望岩<9分>おけいの岩<19分>赤荒分岐<6分>国見越え<6分>遠見岩<7分>国見山山頂
=計146分
国見山山頂<52分>三郷越え<55分>林道終点<12分>林道五叉路(皇太子殿下ご成婚記念植樹標柱)<6分>往還道と林道接近点<16分>林道終点<6分>林道分岐<18分>明神岳登山口<1分>明神岳駐車場(NTT中継塔広場)
=計166分
=総所要時間312分
*今回はマイカーを回送した縦走のため復路のコースタイムはありません。
*休憩時間などは含んでいませんが、半時間に5〜10分程度の休憩は必要と思われます。実際にこのコースを歩くためには7〜8時間は必要でしょう、充分な余裕をもって計画を立ててください。
*三郷越えからの往還の途中で三角点に立ち寄る場合は往復10分程度加算してください。
登山ガイド
【登山口】
私たちと同様に回送される場合は、国道32号線大豊町馬瀬から国道を離れ、細い車道を3kmほどで明神岳登山口の手前の広場に一台を乗り捨て、国道へ引き返すと穴内川ダムの上流をめざします。土佐山田町繁藤郵便局を過ぎるとまもなく県道268号線(蟹越繁藤線)に入り、穴内川ダムの堰堤を左手にしばらく蛇行を繰り返すと、青い欄干の「山目野橋」を渡ります。「山目野橋」から600mほど西進すると山手に鉄塔巡視路がありますが、今回の登山口はその巡視路入り口からさらに西に800mの所にあり、山手に折り返すような山道が上がっていて、入り口には「参勤交代道」と赤書きされた小さな木札が立木に下げられています。現在この登山口には「国見山参勤交代道入口」と書かれた立派な道標が立っています。
なお、国見山に登る場合はこの他に赤荒峠からの尾根道コースや、本山町吉延や古田から参勤交代道を南に辿るコースなどがあり、大豊町桧生から黒松牧場に抜ける林道から三郷越えを経て国見山に向かうコースもあります。
【コース案内】
文中でも述べたようにこのコースはたびたび林道を歩いたり横断したりします。その度に林道から山道に復帰する場所に注意しなければなりません。特に最初の大規模な伐採地には戸惑うかも知れません。鉄塔巡視路を歩けば迷うことなく「山目野分岐」まで到りますが、その場合は参勤交代道の見所を数ケ所通過してしまいます。鉄塔巡視路は帰路に辿ると良いでしょう。
さて、登山口から山道を1分あまりで作業道に出ます。ここは数歩で左手にある山道に入れば、2分ほどで「篭すり石」を通過し、道なりに行くとまもなく大規模な伐採地に出ます。現在ここには幾つかの指導標が立てられていますが、それでも非常に分かり難いと思われますが、要は伐採地中央上の尾根をめざして作業道を適当に縫って登ります。作業道から尾根に向かう入り口には現在指導標が立てられています。
尾根道に出たら左にとって登ると「嫁ケ岩、姑ケ岩」の大岩が現れます。その後は「山目野分岐」まで一本道です。林道終点の「山目野分岐」で南に見える鉄塔に向かう道を下ると鉄塔巡視路入り口に下山します。
分岐からは左上に鉄塔を見上げながら3分ほど林道を歩くと右手に山道への入り口が現れます。ここから植林に入り、20分ほど歩くと右手に林道終点が見えてきて、更に15分ほどで第1の展望岩が右手に現れます。しかし展望は第2の展望岩の方が優れているのでここは通過します。第1の展望岩から5分あまりで第2の展望岩が道の右手に現れます。
第2の展望岩から10分ほどでなだらかな山道の右脇に「おけいの岩」を通過すると、20分足らずで尾根に出ます。尾根を右にすぐのところが赤荒分岐です。左手に折り返す道は赤荒峠に至ります。赤荒分岐を通過すると右下に下る林道は無視し、尾根沿いの林道を5分ほど辿ると国見峠への分岐が現れます。入り口には案内看板が立っています。ここで左手の山道に入るとすぐに国見峠ですが、国見山へは分岐から更に林道を歩いて、3分後に現れる「国見山」と書かれた指導標に従って左手の登山道に入ります。後は「遠見岩」を経て山頂まで一本道です。
国見山山頂から三郷越えの峠までは、夏場なら多少のブッシュを覚悟します。野趣あふれる岩場や変化のある歩行が楽しめますが、町境の尾根を外さないように注意してください。特に笠松を過ぎて5分ほどの所では町境の杭を見失わないように注意してください。
三郷越えの峠に出ると岩場の上に地蔵が迎えてくれます。ここで北に下る道は数分で古田からの林道に至ります。また北東になだらかな道は大豊町と本山町の境の尾根を辿り、半時間ほどで桧生と黒松牧場を結ぶ林道に出ます。
三郷越えから明神岳へは南東に派生した尾根に沿った山道を辿ります。美しい雑木林を抜けて伐採地の上部を通過すると「樫谷」三角点のあるコブをトラバースして林道終点に出ます。ここまでは迷うこともないと思います。林道終点からは林道を歩いて10分あまりで広々とした林道五叉路に出ます。ここは尾根の右手をトラバースする林道に入ります。五叉路から5分あまりで林道は尾根に接近します。左手を注意していると赤いテープのコースサインがありますので、そこから山道に入ります。少し荒れた山道を行くと、途中に右下へ下る道が現れますがこれは無視し、真っ直ぐに行きます。やがて林道終点に出ると林道を歩いて5分あまりで林道分岐のT字路に出ます。ここは左にとって、後は林道を20分ほどで明神岳登山口です。
備考
登山道に水場はありません。
明神岳にも登られる場合は、明神岳登山口から明神岳山頂まで往復半時間もあれば充分でしょう。