黒岩山  2002年5月12日 *(できれば先に「野地峰」をお読みください)

白滝鉱山閉山後も大川村白滝の移ろいを見守ってきた野地峰同様、その東に座す黒岩山も目立たないながらひっそりと白滝の四季に花を添えてきた秀峰である。
黒岩山は三角点名を麻谷山といい、藩政時代には御留山として「朝谷山」の字が充てられていた。現在、黒岩山から野地峰にかけての南山腹を朝谷山国有林と呼んでいる。

野地峰を後にした私は、稜線を東へとスズタケの中の刈り払われた狭い踏み跡に飛び込んだ。
ひとまずは眼前の野地峰反射板をめざす。
スズタケの切り株の位置が高くて少し歩きづらいものの、反射板までは2分あまりで辿り着く。
この反射板は「富郷ダムマイクロ回線中継用反射板」で、平成11年に水資源開発公団の建てた電波反射板である。


反射板広場から向こうにはめざす黒岩山(右側のピーク)が横たわる。左奥は大登岐山の特徴ある三角錐。

反射板の広場からは再び稜線を東に向かう。
背の高いスズタケの林に飛び込む入り口にはピンクのテープがつけられている。
ツツジ類の林床にはびこる厄介なスズタケの林はようやく人一人が通れる幅だけ刈り払われているが、左右から容赦なく垂れ下がる枝や足元の切り株には散々苦労する。
野地峰から見わたす稜線はそれほど難しく見えないのだが、見ると歩くでは大違いなのは毎度のことである。

顔を襲う枝葉を避けようと前屈姿勢になりながらスズタケの細道を進んで行く。
前屈みの姿勢は長くは続けられないので辛抱できなくなって起きあがりひと息つこうと思う頃にちょうど半畳ほどのスペースが刈り払われてあって随分助けられる。
以後、同様の小刻みな繰り返しで黒岩山の直下までスズタケの中を辛抱強く進まなければならない。


県境の稜線に沿って刈り払われたスズタケの登山道。

反射板から10分足らずで小さな岩の上に立ち前方に黒岩山を確認するが、めざす頂はまだまだ遙かに遠い。
それより手前にはまず越さなければならないピークが迫っている。

稜線の道は相変わらずうんざりするようなスズタケだが、間もなく500番と記されたプラスチックの山界標柱を見いだし、自然石に「山」の文字が刻まれた辺りからはスズタケの切れ間ごとに白滝の展望が覗き、稲叢山などの尾根が見える。


稜線から白滝を俯瞰する。左下には野地峰登山口のそばにある水耕ハウスが見えており、茶色く見える伐採跡に野地峰登山道が蛇行している。

507番から508番へと山界標柱を数えてツツジの多い稜線を進み、開けたところで背後を振り返ると思ったよりも野地峰が遠くなっている。
野地峰から東におよそ30分、ミツバツツジの林にブナの立つ尾根筋からは黒岩山も近くに見えだし、黒岩山の頂近くに広がるササ原もはっきり確認できるまでに近づいた。
ここから山頂手前のピークまでは急坂が続く。


野地峰から30分ほど稜線を歩いてきて正面に黒岩山を見上げる。

520番の山界標柱を過ぎ、ヤセ尾根の岩場をがむしゃらに這い上がればピークに出る。
このピークからは左(北方向)に派生した尾根に沿って刈り払われているが、ここは無視して真っ直ぐに東へと向かう。
ピークからは少しだけ下り再び登り返すと展望の良いコブに出て、ザックからお茶を出して小休止にする。ここまで野地峰から55分、ほぼ1時間の道程である。
うんざりするササと灌木の稜線も、ここで振り返ると新緑の美しい稜線だったことが改めて分かるのだが、汗に浮きながらひたすらヤブを泳いでいる時にはまったく分からないでいた。
いつの間にか野地峰は随分遠くなり、反射板はマッチ箱より小さくなっている。
そして野地峰の右奥には二ツ岳や東赤石山など赤石山系の山々が顔を覗かせている。


黒岩山に向かって1時間ほど歩いてきて野地峰(左)を振り返る。右奥は二ツ岳。

さて、短い小休止の後、滑りやすい岩場を下ってからスズタケの中を登り返すと533番の山界標柱が立つ分岐に出て、ここは左へと稜線を忠実に東へ向かう。
この辺りまで来ると黒岩山はもう目の前で、山頂手前に黒く見えていた岩場の滝(崖)も不気味に間近かに見えてくる。

黒岩山という山名の由来は定かではないが、この黒く見える滝(崖)がその由来ではないかと思われる。
もともと、黒岩や黒滝あるいは白滝という名称は鉱脈の露出した場所を指すことが多いようで、例えば南国市黒滝や大豊町にある黒滝山などは黒色マンガンの鉱脈が露出した岩や崖が地名や山名の由来とも言われている。
三角点名の麻谷は麓にある集落名「朝谷
(*)」からきたものだが、白滝鉱山を抱えていたこの山には「黒岩山」の方がふさわしい山名とも言えよう。

(*)朝谷は、歴史的には麻谷とも薊谷とも、あるいは浅谷やアサ谷、莇谷とも表記されてきた。


黒岩山の山腹にある黒々とした岩場。

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