四国のみちの遊歩道を横切ると、登山道はなだらかに山腹をまいてヒメユリ平に向かう。
道ばたにはギンリョウソウ(綱附森の項を参照)が咲いている。
軽快に林を抜けると天狗森と黒滝山を結ぶ稜線のほぼ中央の分岐に出る。ここまで、四国のみちの遊歩道(横道)から約10分、登山口の天狗ノ池からは30分足らずの道程である。
林床をササに覆われてなだらかなここがヒメユリ平(姫百合平)と呼ばれる辺りで、ベンチや右手の林には休憩所も整備されている。だが、「ヒメユリ平」の由来である「ヒメユリ」は見あたらない。
ヒメユリ平の分岐にて。道標には左へ「天狗ノ森0.9km」、右へ「黒滝山0.3km」とある。
ヒメユリ平の分岐からは右手(東)へと稜線を辿り黒滝山に向かう。天狗森から黒滝山を経て大引割峠へと向かう稜線のコースは「縦走コース」と呼ばれ、ブナやヒメシャラなど自然のままの林が西のカルスト高原との好対照を見せている。
そんな静かな林の中には、ソバナやカラマツソウなどがひっそりと咲いていて、急ぎ足で過ぎて行くには勿体ない。
苔むした石灰岩、シダやツルの張り付いた古木などが落ち着いた雰囲気を醸し出す。
さて、稜線を10分も登って行くと黒滝山手前の小高い峰で右手(南面)の展望が開け東津野村のやまなみが広がる。
更に行くと、ツクシシャクナゲの群落を過ぎて今度は左手(北面)に展望が開ける。
ここからは東方向に目指す黒滝山の頂、その向こうには鳥形山の石灰岩採掘現場が見えている。そして北面眼下には岩屋川沿いに都など仁淀村の集落が広がり、正面には中津明神山(1540.6m)が、その奥には石鎚山系の山々がのぞいている。
ここから平家落人伝説に彩られた都などの集落を見下ろすと、文治2年(1186年)3月に安徳天皇がこの地にて「ここを都と定め永住すべし」と語ったという伝説も肯ける思いがする。
*通説によれば安徳天皇はこの後、横倉山に移ったとされるが、一説によれば源氏の追っ手を欺くため秘かにこの地にとどまり18歳で死去したともいわれ、都の大峰山には昭和8年に安徳天皇御陵墓(皇陵塚)伝説地の指定を受けた陵墓がある。
稜線から北方向の展望。左奥に中津明神山が雲をかぶり、遠くに石鎚山や筒上山が霞んでいる。
ヒメユリ平からおよそ15分、展望を楽しんだ後は林を一旦下ってから黒滝山への登り坂となる。
登山道は稜線の北側(左腹)をまいて、ヒメシャラの木の元で折り返すと再び稜線に出て、ほどなく不意に三角点の標石と出会い黒滝山山頂に到達する。
ヒメユリ平から黒滝山山頂までおよそ30分、登山口の天狗ノ池からは1時間足らずの道のりである。
黒滝山山頂。赤い矢印の先に4等三角点の標石がある。
到着した黒滝山の山頂は木立に遮られ展望は望めない。
私たちは目的であるキレンゲショウマと出会うため、早々に山頂を離れた。