知人が書いてくれた1枚の地図を片手にキレンゲショウマの群落を捜して彷徨すること小一時間。
かなり大きな群落とはいえ目印の無い広い山中では砂金を捜すようなもの。ほとんど諦めかけていた頃、ちょっとした幸運からその群落にたどり着くことができた。
辿り着いてしまえば何と云うことはない、当初からそれらしき場所と当たりをつけていた場所を私たちは2度も見過ごしていたのだった。

それにしても、これだけの群落はそうそう数ないだろう、一面のキレンゲショウマ(黄蓮華升麻)に私たちは驚喜した。
広い葉が黄色い花びらを捧げるように静かに咲いているその姿は「美しい」のひとことに尽きる。


山肌に黄色い点描画を描いたようなキレンゲショウマの群落。

高知県出身の作家「宮尾登美子さん」は、代表作「天涯の花」の中でこの花を、『それはおぐらい木洩れ日を浴びて、まるで一つ一つの花が月光のように澄み、清らかに輝いてみえた。茎の高さは1メートルほど、葉はたっぷりと大きく幅は20センチはあろうかと思えるが、その立派な葉を従えるように、さわやかな月光の花は凛、として気高い。−(略)−。花はお月さんが地におりてきて宿っているような淡く輝いた黄、葉は大人のてのひらのようなパルマータ、それにしても何と何と美しい、』と描写し、作中のヒロイン「珠子」がキレンゲショウマと初めて出会うシーンを見事に演出している。
作中の設定は剣山でのことだが、この花自体は「そはやき要素
(*1)」でところを変えても花や生息地の持つ印象は変わらない。
それにしても、宮尾登美子さんご自身は病弱のため実際のキレンゲショウマをご覧になったことがないにかかわらず、こうまで見事な筆力には圧倒される。心の眼とは、私たちが両眼に写していながら見えていないものまで見取ってしまう、まさしくこういう力なのだろう。
静かにこの花を見つめていたら、『お月さまの色をした、天の果ての花』が一陣の風に、揃ってゆれた。

(*1)そはやき要素
四国の植物の分布に興味を持ってくると一度は耳に(目に)する言葉なのですが、広辞苑などには出てこない言葉なので、ここで簡単に説明しておきます。
日本は9つの植物区系に分かれていると考えられており、「そはやき」もそのひとつである。
「そはやき要素」とは、第三紀中新世に海進や火山活動が無かった、秩父山地、赤石山地、紀伊半島、四国山地、西中国山地、九州山地にだけ分布している要素のことで、このような分布を「そはやき型分布」という。
もちろん、分布はすべてに共通するわけではないが、ある地域に集中する種が多いことは確かで、その地域とは、九州山地と、四国、紀伊半島である。1931年、京都大学の植物分類学初代教授小泉源一博士は、その地域が日本での植物地理を論じる上で意味のある地域と考察し、「そはやき地域」と名づけた。「そはやき」は「襲速紀」と書き、南九州の古名である「熊襲(クマソ)」の襲(そ)、豊予海峡をさす「速吸の瀬戸」の速(はや)、「紀伊の国」の紀(き)から名付けられたものである。
ギンバイソウ、シロモジ、ベニマンサク、コウヤマキなども「そはやき分布」の植物としてあげられる。



「Kirengeshoma palmata Yatabe(キレンゲショウマ・パルマータ・ヤタベ)」は、手のひらのような葉と蓮華升麻に似て黄色い花を咲かせる植物という意味。(キレンゲショウマには他に、朝鮮半島の「Kirengeshoma palmata Nakai」、大分県で採取されたコダチキレンゲショウマ「Kirengeshoma palmata Hatusima」などがあるがこれらはYatabeの変異と考えられている。

ところで、キレンゲショウマという名前は東京大学の初代植物学教授だった矢田部良吉博士が名付けたものであり、学名は「Kirengeshoma palmata Yatabe」といい、1890(明治23)年に記載公表された。これは、日本の学術出版物に日本人学者が発表した、最初の高等植物の属であった。
(ただし、新種としては海外において1887年に伊藤篤太郎氏がトガクシショウマを新種として初めて公表し、日本でも1889年に牧野富太郎氏
(*2)と大久保三郎氏がヤマトグサを新種として発表している。)
キレンゲショウマは、一種で一つの属を構成する、特異な植物であり、1888(明治21年)年8月9日に愛媛県石鎚山で矢田部博士自身が採集した花期の標本と、同じ産地で1890(明治23年)年10月に吉永虎馬氏が採集した果実期の標本に基づいて記載された。

が、しかし、実は1888年の発見については異説がある。
このことは、高知新聞社の「土佐の博物誌」などに詳しいが、その書物を目にすることのできない人のために簡単に触れておくと、石鎚山でのキレンゲショウマの採取の経緯は以下のようであったらしい。
1888年8月3日、高知県の吉永虎馬氏
(*3)は石鎚山で「美しき花を着けたる大なる見慣れざる植物(キレンゲショウマ)」を発見し、同じ頃、石鎚方面を目指しながら高知県池川町で大雨のため足止めを食っていた矢田部博士のもとにそれを持参し鑑定を請うと、『博士も初めて見るゆえ、その所属の見当もつかず、いくらかレンゲショウマに似ているところから「キレンゲショウマ(黄花のレンゲショウマ)」とでも言ったらよからん。帰京後に調べてみる』<植物研究雑誌(第7巻第2号)>とのことだった。
その後、吉永虎馬氏は矢田部博士と同行し、筒上山から石鎚山に向かう途中で再びこの花を発見し採取した。
しかし、吉永虎馬氏が初めて発見した石鎚山の地点には『矢田部博士一行は誰も行かなかった』というのである。
にもかかわらず、学会には矢田部博士自らが石鎚山の標高5000フィート以上の疎林にてこの植物を初めて発見と報告したのだという。

(*2)牧野富太郎(1862年〜1957年) 高知県が生んだ世界的植物学者。1888年「日本植物志図篇」を私費出版、そのことで矢田部教授をはじめ学閥との軋轢が生じる。命名した新種は604種、学名の変更や訂正3000種、採取した標本約50万点。著作は「牧野植物図鑑」他100冊。「草をしとねに木の根を枕、花と恋して90年」は博士の生涯そのもの。
(*3)吉永虎馬(1871年〜1946年) 高知県佐川町出身、牧野富太郎博士の縁の下の力だったといわれる。教職のかたわら植物分類学、特に苔類、銹菌類(しゅうきんるい)の分野では世界の吉永で知られる。トキワシダ、ミカンゴケなど新種の発見も数多く、著作には「植物雑録集」などがある。



つやのある黄色い花びらといっぱいに広げた大きな葉がキレンゲショウマの特徴。

ところで、矢田部博士が似ていると言った「レンゲショウマ」はウマノアシガタ科の植物だったが、キレンゲショウマはユキノシタ科(広義)。これについては、牧野富太郎博士が痛烈な文章を書いている。
『矢田部博士はすこぶる強情な人であった、キレンゲショウマの命名に関しても能くその性癖が現れている、−(略)−、それ(キレンゲショウマ)がウマノアシガタ科とは遠く離れて縁もゆかりもないユキノシタ科と判明した後でも、矢田部博士は名を訂正するのは我が面目を失い我が権威を傷つけ他人の侮辱を受けるとでも思ったのか、(改名せず)よからぬ名を押し通してしまった。こんなてれかくしは、いやしくも博士、大学の教授とでも言わるる人のなすべき事ではなく、−(以下略)−』と前述の雑誌に書いている。
傍目から見れば何だか大人げないようにも見えるが、矢田部博士と牧野博士との確執は相当なものだったらしく、東大植物学教室から閉め出された牧野富太郎博士の学閥に対する闘争心からすれば無理からぬところだったのかもしれない。
だがしかし、それにしても、かつて一介の青年だった牧野富太郎に大学への出入りを許しその研究に理解を示してくれた矢田部教授と、何故にこれほどまでに渡りあわなければならなかったのか?、、、、、


キレンゲショウマの蕾はまるでドングリのよう。

ともかくも、この花は「そはやき」の形成解明の鍵を握るなど何かと物議をかもす植物ではあるが、しかしそんな俗世界の喧騒をよそに、ここでは「私は私」であると主張するかのように短い夏にあらん限りの花を咲かせていた。
それは何もキレンゲショウマだけに限ったことではない、群落の傍で立木に蔓をからませているクロタキカズラなど、すべての息づくものたちは生命の限りを尽くしてこの季節(とき)を謳歌している。
もしも、この花たちにとって気がかりがあるとするなら、それは唯一、心ない盗掘者たちや一部の偽善ぶった植物愛好家たちの行為であろう。

自戒の念も込めながら、また次の季節にこの場所で出逢うまで、お月さまの花も私たちも変わらないでいられたらと願いながら、名残惜しい夏の終わりの山を下りた。


*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
天狗池登山口<5分>最初の分岐<13分>四国のみち遊歩道<10分>ヒメユリ平<29分>黒滝山山頂

【復路】
黒滝山山頂<28分>ヒメユリ平<10分>四国のみち遊歩道<10分>最初の分岐<4分>天狗池登山口


備考

キレンゲショウマについてその群落の場所など、ここで記した以上のことはお答えできませんので、メイルなどのお問い合わせはご遠慮くださいますようお願いいたします。

登山道に水場はありません。

キレンゲショウマという花に魅せられて冗長でとりとめない文章になりましたが、この文を書くにあたり、参考文献の他に下記のホームページを参考に(一部転載)させていただきました。非公式ながら以下にそのアドレスを記して謝辞とさせていただきます。

東京大学コレクションU【動く大地とその生物(大場秀章・西野嘉章編)】>植物15「キレンゲショウマ」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/dm2k-umdb/publish_db/books/collection2/


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