松尾山  2003年12月

風水で、黄色は金運の色といわれるが、それはタチバナの果実の色だという。
タチバナは静岡県以西の海岸近くや標高の低い石灰岩地にごく稀に自生する野生の柑橘で、古くは「古事記」で多遅麻毛理(たじまもり)が探し求めた「非時香菓(ときじくのかくのこのみ)」もタチバナだと言われている。その栽培品種である京都御所の「右近の橘」や、その白い花弁をあしらった文化勲章などはとりわけ有名である。
そんな「非時香菓」を求めて、とある初冬の晴天に土佐市甲原(かんばら)の松尾山へハイキングに出かけた。ここには日本屈指の群落があるという。


「タチバナ群落」の入り口から歩き始める。

短時間のハイキング程度なのでステッキだけを手にすると、今日の案内役である浜田さんを先頭に登山口から歩き始める。入り口には「高知県指定天然記念物、甲原松尾山のタチバナ群落」と書かれた立て札が見える。
まずはブンタンや温州ミカンの実る果樹園の間を登って、上方に見える竹林をめざす。いきなりふくらはぎの伸びる急坂を登りきると、モウソウチク林の手前で右に折れ、左手に現れる坂道は無視して、ブンタン畑に向かって直進する。よく手入れされた果樹園を行くと目の前にたわわに実ったブンタンがいくつも現れる。農家の方が丹誠込めた果実を傷つけないように注意しながら果樹園を通り抜ける。


果樹園の中を通り、前方に見える尾根の鞍部をめざす。

登山道は林に入ると、ほどなく耕作放棄された段畑を埋め尽くす竹林になり、道の両脇に名残の石垣を眺めながら坂を登りきると尾根の鞍部に出る。尾根を右にとると、先に三角点のある松尾山山頂をめざすことにする。植林の中のかすかな踏み跡を頼りに、一番高いところをめざして尾根を直登する。途中、石灰岩の岩場やシダのブッシュを迂回し、雑木林を抜けるとぽっかりと山頂に飛び出す。
松尾山の頂は三角点の標石を中心に半径10m位が刈り払われて、ところどころに切り株や伐採された樹木が横たわっている。しかしなだらかな山頂は背の高い樹木に囲まれ、眺望は望めない。わずかに木々の間から北東に大平峰や、南に土佐市の田園地帯と波介公園の山なみなどが垣間見られる程度で、間近に聳えるはずの虚空蔵山も定かではない。ひとまず、この年設置されたばかりの真新しい4等三角点標石をカメラに収めて山頂を後にした。


新設されたばかりの4等三角点標石が埋まる松尾山の頂上。

尾根に出た辺りまで引き返すと、右手に折り返す横道に入り、立木に巻かれた白いテープを追いかけてなだらかに山腹を行く。足もとには石灰岩の小石がガレている。ほんの数分も歩くと道の真ん中で一本のタチバナの木と出会う。見上げると黄色い実がいくつも見える。そこから少し下ると、この群落を紹介した立札があり、辺りにはいくつものタチバナの木が群生している。その数は200本近く(*1)あるといわれ、そのひとつひとつに小さな果実がいくつもぶら下がっている。今年は花時の天候不順で果実も少なめだというが、それでも陽光に輝くタチバナの実は山肌を黄金色に染め上げている。そんな木々の間からはこんもりとした大平山が正面にあって、東には神谷の集落も見えている。

(*1)2002年に行われた調査報告書には165本について樹高や幹周が報告されている。このとき、群落におけるタチバナの総数は183本(+アルファ)と報告されている。


黄色く熟れたタチバナの果実「ときじくのかくのこのみ」。

ところで、タチバナはその自生地が極めて少ないために国や高知県の絶滅危惧種に指定されている。たとえば高知県の場合、室戸市や南国市、中村市のものがそれぞれ国や県の天然記念物として手厚く保護されている。しかし、どれもここ松尾山の群落には遠く及ばない。この山のようにまとまって100本以上ある群落ともなると、現在知り得る限り日本一の規模といえよう。そんな群落も遅ればせながら最近高知県の天然記念物に指定されたのは嬉しいことである。
かつて垂仁天皇(*2)の命を受けた多遅麻毛理(たじまもり)がタチバナを持ち帰ったという常世の国とは、実はここだったのかも知れない、そんな空想さえ浮かぶ。遠い昔、遥か海の彼方にあると考えられていた不老不死の仙境、常世の国。そこでかぐわしい香りを漂わせていたという「常世の木の実」(*3)は今、私たちの目の前にある。そしてその木々たちが黄色い実を纏った姿はかくも壮観である。

(*2)垂仁天皇(すいにんてんのう)=第11代天皇、前69年〜70年、139才で崩御。なお、タチバナを持ち帰ったタジマモリは田道間守とも書く。
(*3)常世の木の実=タチバナの果実のこと。なお、タチバナの古称は「常世物(とこよもの)」ともいわれる。



果実は写真で見ると大きく見えるが、実物は直径3cmほどの小さなものである。

さて、いざタチバナの実を目の当たりにして金運が上がったかというと、それはよく分からない。でも、あらん限りに実を纏った、素晴らしい群落に出会えたそれだけで、心はいつにもなく晴れやかに軽やかに、山を下りたのだった。




私たちのコースタイムは以下の通り。
【全行程】
登山口<13分>尾根<9分>山頂<4分>尾根<3分>タチバナ群落<4分>尾根<10分>登山口
=43分


登山ガイド

【登山口】
国道55号線で土佐市に入ると、船戸地区から国道を北に離れて、佐川町に通じる県道53号線(土佐佐川線)に乗り入れます。国道から3.5kmほど走ると、車道右手に登山口が現れます。登山口には「土佐市甲原タチバナ群落」への道標が立っています。マイカーは付近の路肩に駐車しますが、見通しの悪いカーブの手前であり、かつ交通量も多く、付近には農作業車が駐車することもありますから十分な配慮が必要です。

【コース案内】
入り口から果樹園沿いの急坂を登り切ると竹林の手前で右に折れます。以後は道なりに直進して、文旦畑を抜けると松尾山の北にある尾根のコルをめざします。小さな指導標もあると思います。尾根に出るとタチバナの群落に向かう道は白いテープなどのコースサインもあり、踏み跡もしっかりしています。一方、松尾山の山頂へは踏み跡も心許ないのですが、一番高いところをめざして適当に林を抜けると山頂です。帰途は往路を引き返します。


備考

タチバナの実は食べられません!決して果実をとらないでください。

たびたび述べるように、このコースは果樹園や私道を横切ります。地元の方とのトラブルには充分注意してください。また登山口への駐車は農作業車の妨げにならないよう配慮をお願いします。

タチバナの見頃は、初夏(5〜6月)の花時と初冬(11月〜12)の実熟期です。花は白色で地味ですが、黄色い果実はよく目立ちます。果実の大きさは直径3cmくらいの小さなものです。

道中に水場はありません。


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