三辻山 2002年11月6日
吉野川流域の嶺北地方と、太平洋に面する高知市とは高い山々に遮られているが、人々はそこに高峯を越える道筋をいくつか切り開いてきた。
嶺北の中心部である土佐町からも、中ノ川越え、樫山越え、赤良木越え、辻越えなど、工石山や笹ケ峰など1000m余の山々を越える往還が利用されてきたのである。
かつて、様々な思いを胸中に、早朝の深い霧の中を出立し、ようようそんな往還の峠に立った山間の人々は、どんな思いで太平洋を眺めたのであろうか。
今回は三辻山登山の途次でそんな峠のうち、樫山峠、赤良木峠に立ち寄ってみることにした。
工石山登山の拠点である青少年の家を出発点に、樫山峠から三辻山に向かい、帰路は赤良木峠(あからぎとうげ)から工石山青少年の家に下るコースを歩くことにする。
青少年の家の駐車場に車を置いてから、車道を一旦高知市よりに下る。
700mほど東に下るとヘアピンカーブの外側(山手側)に樫山峠経由三辻山への登山口がある。
登山口には工石山自然休養林や鳥獣保護区の看板などがあり、「樫山峠経由三辻山登山口」と書かれた手製の道標もある。
なお、この登山口は近くにある岩場「焼滝」の名を取って、焼滝登山口とも呼ばれている。
樫山峠を経て三辻山への登山口。
登山口から林に入るとすぐに大岩のもとをくぐり、右手の谷川に沿って道なりに登って行く。水はこの谷川の上流で補給することができる。
静かなスギの植林の中、流水に洗われガラガラと小岩の露出したガレ場を登って行く。
この辺りはかつて雑木林に覆われていたのであろう、傍らには炭窯跡も認められる。
植林がヒノキに変わると、登山者への注意書きが書かれた看板やゴミ箱と出会う。ここから道は谷川を離れるので水が必要であればここで補給しておかなければならない。
かつて人馬が越えた樫山への道も今は荒れている。
植林帯がヒノキから再びスギへと変わっても相変わらず殺風景な登山道で、それでも足元にアサマリンドウを見つけてちょっぴり心が和む。たった一輪だけなのが余計に愛らしい。
植林を抜けると雑木林になり、間もなくアセビやツツジが登山道を覆い始める。
道端ではツルウメモドキが黄色く熟して、中からは赤い種子がのぞき、秋の深まりを告げている。
やがて灌木やカヤのはびこる尾根の張り出しで南に高知平野や太平洋が見えてくると、ほどなく樫山峠に立つ。ここまで登山口から30分あまり。
峠の手前で振り返ると土佐湾が見える。
一面カヤ原のなだらかな樫山峠には朽ちかけたベンチがあり、土管を立てたゴミ入れがある。ここが樫山峠園地として整備されていた頃の名残らしい。
樫山峠からの展望はあまり良くないが、それでも北には岩躑躅山とその尾根筋を走る林道がはっきりと確認でき、その左奥にはうっすらと冠雪した二ツ岳やえびら山、東赤石山などが見えている。また、ここからは黒岩山や登岐山が優しい山容に見えている。
樫山峠から東にはかすかな踏み跡があり、尾根は笹ケ峰(1131.4m)に向かって延びている。
これから向かう三辻山の方角には黒滝山(黒滝岳ともいう)があって、黒滝の由来である岩崖が見えており(焼滝同様に、岩場や断崖などを滝と呼んでいる)、左奥には工石山の頂が見えている。
この樫山峠を越える道「樫山越え」は、笹ケ峰と三辻山の鞍部(コル)にあって、昭和初期まで吉野川水系と鏡川水系とを結ぶ交流の要であった。
ここは狭いながらも馬道であり、峠には餅や草履(ぞうり)を売る茶屋が立っていたと言うから、往時は相当の交通量だったことが窺われる。
また、中世戦国時代には土佐の七守護のひとり本山氏(「田井山」の備考を参照)が南進や後退をした際にもこの峠が利用されている。
一面をススキがおおう樫山峠、手前には古い木製のベンチがある。右上は黒滝山、左奥には工石山が見えている。
かつて土佐町相川あたりからお城下(高知市)に向かう時、健脚や急ぎなら樫山峠を、年輩者や急ぎでない者は赤良木峠を越えていたという。
樫山峠と赤良木峠の標高は共に約950mとほぼ同じ高さなのだが、三辻山をゆっくりと迂回する赤良木越えに対して、東の樫山越えは近道ながら土佐町から南下する谷筋の傾斜は相当きつかったことが窺われる。
従って、戦国時代の争乱による敗走は近道である樫山越えが使用されたのであろう、長宗我部元親に滅ぼされた秦泉寺城の城主秦泉寺掃部(じんぜんじかもん)は樫山に落ち延びて小栗掃部を名乗ったといわれ、その小栗家の美しい娘が沼の大蛇に魅入られ身を投げたという悲話も残されている。(秦泉寺掃部は落城の際、長宗我部勢に討たれ、北秦泉寺に葬られたというのが定説ではある。)
さて、樫山峠を後にカヤの中の踏み分け道を西へ向かうと、道は灌木のブッシュになるが、それも数分で樫山別れの分岐になる。分岐には錆びた鉄製の指導標が立っている。
この分岐は真っ直ぐに行くと赤良木峠に向かい、途中から三辻山に登ることもできるが、ここでは分岐を右に尾根伝いで三辻山山頂に向かうコースを辿ることにする。どちらの道も比較的よく整備されている。
なお、ここで赤良木峠に向かう道は「赤良木樫山連絡線」、尾根沿いの道は「樫山黒滝頂上線」とも呼ばれるが、私は工石山同様に前者を南回り、後者を北回りと名付けている。
ちなみに、この分岐をまっすぐに20mほど行くと小さな岩の上で南に高知市の展望が開けるので少し寄り道してみるのも良いだろう。
分岐から町村界の尾根に向かう。右手に白骨ヒノキの立つ岩場がある。
分岐から折り返すように北東方向に向かうと、すぐに登山道の右手に立ち枯れたヒノキが根を下ろした岩場が見えてくる。
登山道を逸れて岩場に立ち寄ってみる。私と同じ思いの人も多いのであろう、灌木の中にはちゃんと踏み跡がある。
数歩でアセビに囲まれた岩場の上に立つときびす山や白髪山が目に飛び込んできた。東正面には笹ケ峰への尾根が見える。
白骨化した木のもとにはツルリンドウが赤い実をつけていた。
数回シャッターを押してからカメラをしまうともとの登山道に引き返した。
登山道は町村界であり分水嶺である尾根を越えて方向を西に転じると、黒滝山の北斜面を進んで行くことになる。
ここで左手の尾根上にある岩場に登れば、ここでも先ほど同様の展望を得ることができる。
なお、この岩場のすぐ東が黒滝山と呼ばれるピークである。
町村界尾根の岩場から樫山峠(右端中央)を見下ろす。手前に白骨ヒノキの岩場も見える。左奥は笹ケ峰(1131.4m)。
さて、植林帯や雑木林を繰り返しながら西に向かうと、木々の間越しに白髪山が覗き、眼下には早明浦ダムや、土佐町の田園地帯が見えている。
穫り入れの終わった田んぼには点々と稲株だけが残り、寒々とした風景は麓にも冬の訪れの間近なことを感じさせる。
それもそのはず、時々吹く北風は冷たく、登山道の所々にあるシャクナゲは蕾を固く閉じて、日陰には白いものさえ見えている。
樫山別れの分岐から10分あまり来て、尾根の北側をトラバースしていた登山道は一旦尾根に乗る。
ここから正面のピークに向かってカヤを払いながら山肌を登って行くと、すぐに錆びた鉄製の指導標と出会う。ここにも土管がある。
指導標のもとからは、真南に見える土佐湾を眺めてから尾根を逸れて広くてしっかりとした道を辿って、再び尾根の北斜面をトラバースして行く。
美しい自然が残るブナ林を行く。
明るい雑木林は、ほんの1週間ほど前までなら目に鮮やかな紅葉に彩られていたはずだが、残念ながらひと足違いで今日は落ち葉を踏みながらの山歩きになってしまった。
しかし、ほとんど葉を落としてしまったとはいえ、ここから山頂まで続く林が三辻山ハイキングの一番の魅力なのである。
高知市から直線距離にして14kmという身近にありながら、冷温帯の美しいブナ林と巡り会えるのもこのコースの醍醐味である。
岩に絡みついたヒノキやシャクナゲのトンネル、トサノミツバツツジや林床で赤い実を抱いた緑鮮やかなツルシキミ、そして雰囲気の良い岩場にブナの林。
一帯は「工石山陣ケ森県立自然公園」の一画であり、そんな林には赤良木(あからぎ)峠が近くなるとアカラギ(赤裸木)の木、つまりヒメシャラも多くなり、林に小粋なアクセントを添えている。
まるで胸のすく山歩きが満喫できる。