気ままな山歩き番外編 |
<奥白髪山 (おくしらがやま)> 登頂日=1963年(昭和38年)1月1日
登山者(『棺桶爺ィ』こと藤村謙之輔さん他2名) / 執筆者(藤村謙之輔さん)
*この番外編は、山登の部屋の掲示板でお馴染みの「棺桶爺ィ」こと藤村さんが、昨年末に自宅で書類を整理中、昔の山日記を見つけられたことから実現いたしました。
当初は掲示板に掲載予定でしたが、今から40年も前、昭和30年代の貴重な山行記録はぜひとも常時閲覧ならびに保存可能な形でということから無理をお願いして番外編に登場をしていただきました。藤村さんには、貴重な記録を快くご提供いただき大変ありがとうございます。
今回は手箱山や御在所山など興味ある山の中から、本山町の白髪山(通称奥白髪山)をご紹介いただきます。
なお、以下の文章およびルート図はいただいた原稿をほぼ原文のまま掲載させていただきました。
また、写真は私「やまと」が2001年10月に撮影したものを使用し、簡単な説明を附しました(文中の赤いイタリック体文字部分)。
(by やまと)
【奥白髪山紀行】
昭和38年(1963年)1月1日
寒波襲来の報あり。風強く寒し(補遺:当時の気象台の記録を調べてみると、高知市で最高気温9.9℃、最低気温−1.5℃、最大風速6m、本山町の記録なし)。
一行は、印刷会社の社長(50歳位)、職場の先輩(45歳)、筆者(30歳)の3人。
計画は、本山町瓜生野から山頂を目指し、帰全山に下るコースである(下図参照)。
「この山は、磁鉄鉱があって磁石が狂う。一度迷いこむと、二度と出られない」と、聞いていたので、ふと、思いついて懐中電灯を携帯していったのがよかった。
5時5分起床。自転車で高知駅に向かう。まだ夜は明けていない。
6時25分発の高松行き普通列車に先輩と乗り込む。大杉駅まで110円。
後免駅で社長が乗車しないので、知り合いの駅長に「時間の都合で先に行く。悪しからず」の伝言を依頼(補遺:むかしは、何事もおおらか)。
客室は、金毘羅さん初詣の参拝者と思われる乗客で賑やか。
大杉駅着、7時46分。直ちにバスに乗り、冬の瀬線に乗り換えるため、本山で下車。8時50分発車、9時5分、田井着。
5分間の停車時間に、煙草を吹かしていると、だしぬけに社長が現れたので、仰天。後発のバスの運転手を急がして、追いついたという。
3人、肩を叩き合って、大いに笑う。「つれない人達だ」と社長が嫌みをいう。
9時55分、瓜生野(370m)着。雑貨屋で、パン、味噌等を買い、登山コースを聞く。
地図に記載されているコースは、廃道となっているとのことで、詳しく教えてもらう。
本文の歩行ルート図です。更に詳細な地図は上記画像をクリックすると別画面(ウィンドウ)で開きます。印刷などされて本文と対比させながら読めばいっそう楽しさが増します。
10時20分、出発。
迷いやすい岐路が多いと教えられたとおり、いきなり、道を間違えた。
後ろの声に振り向くと、大人と子供が数人、盛んに、手まねで本道を教えてくれる。親切な人達である。了解の手を振る。
11時35分、白髪山西側の口白髪谷に出遭う(補遺:650m付近か)。ここで食事。
雪がチラチラして、風が強く、とても寒い。飯盒飯を炊き、味噌汁に餅を入れて正月を祝う。
12時35分、谷を左に見ながら進む。間違いやすいので注意、谷を渡ってはいけない。白髪の山容は見えない。
登るにしたがい、道の雪が次第に目に付きはじめる。熊笹が多くなる。
多分、稜線つたいと思われるこのコースには、熊笹、桧、石楠花の古木が多い。
桧は、母木が枯死、50年位を経た新生木に交代している。1100m位か?
積雪5cm。次第に降雪が多くなるが、風はなくなった。30分歩き、5分休むというペースで進む。三叉路(補遺:1207m)になかなか着かない。
地図が間違っているのか、道を迷ったのではないかと思うほど、遠く感じる(補遺:これは、多分、そこから見る山の姿によって目標が指呼のように感じられにもかかわらず、実は、似たような地形によって錯覚してしまうためではないか、と思う。今でも、その時の強い印象があり、これが再度の登山を敬遠する一つの理由にもなった)。
白髪山のいたるところにある桧の白骨林。
15時、ようやく三叉路にたどり着く。登りはじめて、すでに5時間を経過している。
ここに荷物を置き、15時5分、頂上に向かう。周囲も空も薄暗い。
石の多い雪道を、足を滑らさないように注意して登る。この付近から山頂までは石楠花の群落であり、ただただ驚嘆する。
社長は、激しくなる降雪と次第に薄暗くなる不気味な雰囲気に怖れを抱きはじめたのか、登頂を断念しよう、と迫りだした。なんとか宥めながら、ただひたすら進む。
先輩はどうかというと、元来、腹の座った人で、簡単には弱音を吐かない。
小生は若いだけで、怖さ知らずの若輩者。
胸中にそれぞれ不安はあろうが、ここで引き下がるわけにはいかない。思いは、多分、皆同じだろう。
15時25分、風穴に行きあう。穴には棚のような台があり(種子貯蔵の目的?)、宿泊もできるようになっているようだ。「なにかあれば、ここで泊れる」とひそかに思う。
これが現在の風穴の中。建造物は朽ちるにまかせられている。
石楠花の林を登りつめると、遂に山頂。
15時45分、立つ。登りはじめて、5時間25分。降雪のため視界はきかず、風でいじけた五葉松や樅、桧の白骨林に雪が付着し、一面の銀世界。
沛然とした四囲をただ呆として眺めるのみ。
3本の木を組み合わせた、簡素な三角点がある。とても寒い。
現在の白髪山三等三角点。
16時、心を残して、下山開始。
16時40分、三叉路に着き、あり合わせの腹ごしらえ。4人の猟師と2匹の犬が来る。猪を追っているとのこと。なにやら自信ありげで、不敵な面構えに畏敬の念。
こちらも、なんとなく勇気づく。
17時15分、出発。もうかなり暗くなっている。社長がまた何やらボヤク。
三叉路からは往路をとらず、南下して、まずは帰全山を目指す。それぞれ杖を作り、小生が3人の真ん中を歩き、懐中電灯で、もっぱら前方を照らしながら、慎重に足を運ぶ。やがて、あやめも分からぬ暗闇の歩きになった。ふと、電球が切れたらどうなるのかと思う。
690m付近の分岐に、次のような道標があった。
「上れば山頂、下れば日浦をへて上関に至る」
右にも別の道があり、これが帰全山への道だったが、誤った。しかし致命的ではない。
19時30分、日浦。20時40分、上奈路。歩行時間は延べ10時間20分。
ここで、タクシーを呼び、大杉駅に21時ごろ着く(710円)。
22時41分、大杉発高知行き普通列車で、23時48分、高知駅着。
「一泊すれば楽な山だが、日帰りは無理だ。もうあなたとは山へ行かない」
と社長が苦笑しながら、吐き出すように言った。
白髪山山頂。眼前にきびす山、その麓が帰全山。
***** あとがき *****
昭和34年に発行された「四国山脈」に以下の記述があります。
「野中兼山ゆかり地、帰全山を経て北へ14km、約4時間で頂上に達する。
急な登りもほとんどない一本道なので岐路の心配もまずなく、高知を早朝に出発すれば日帰りもできるが、前日の午後にでも出発して吉野川の川原にキャンプすればゆっくりした山行きを楽しむことができよう、云々」
全く、その通りと思います。
私どもは、降りでしたが、同じような消費時間であり、夜の歩きというハンディを考えると、われらの足も満更でもなかったと思われます。
今なら高知から大豊IC、本山東大橋を渡り、上関、新頃を経由して、1056m地点で車を置き、後は、徒歩で1時間余りと、少し味気ないものになりました。
なお、社長と先輩は故人になられております。