「四の辻」から約15分、縦走路の最低鞍部付近には「上水」への枝道があり、登山道脇には「上水20m」との指標がある。標から右手(西側)に登山道をそれて少しだけ下ると、ごく細い流れに着く。水の湧く辺りに石仏を祀ってあり、ここが「上水」である。この日、秋の晴天続きでも水は涸れてはいなかったが、とてもカップに注げるほどの流れではなかった。しかし、非常時には湧き出し口を掘り下げれば補給できないことはないだろう。


貴重な湧き水が祀られている。

「上水」との分岐を過ぎると、みごとな枝振りのブナやモミの巨木に感嘆しながらの登りになる。
中都山直下ではきつい急登を強いられるので、ここではゆっくり自然を楽しみながら行くとよいだろう。


明るい登山道。ここはもう中都山の山腹になる。

「上水」からゆっくり15分も登ってくると道は2手に分かれる。傍には枯れた樅の大木が立っている。
ここを右手に急坂を一気に5分ほど登り、山頂から東に派生した尾根に出てから緩やかに歩を進めれば更に5分程度で中都山山頂である。
山頂には石の祠があり、注連縄が立木に3方張り巡らされていた。誰かが提げた「中都山」の札もある。山頂は木々が茂り展望はまるでダメだが、信仰の道を辿って着いた頂は厳かな雰囲気に包まれている。
奥神賀山への現在の信仰の道順とは逆方向なのだが、平家敗走の道としては順路にあたるのが興味深い。
再び都に帰ることを夢見たかの人々の思いが伝わるようでさえある。


ここが中都山の山頂。天保七年申年(1836年)の銘がある。

安徳天皇の伝説が色濃い山頂には、「ツラジロお厩(うまや)」という指標も立ち、かつてこの山頂付近には「竜の駒」と称する巨大な神馬が駆けていたとも言い伝えられている。巨大な神馬とは何を指すものだろうか?
この界隈の山々が安徳天皇の御陵と伝えられるだけに、不入山としての寓話なのか、自然現象なのか、あるいは、現実であったのか、時代をさかのぼりたい気持ちにさせられる。

ところで、山頂を更に奥へとすぐのところで道は分岐しており、ここは右手に急坂を下ると「高賀関」と書かれた指標に会う。指標から左手に刈り払われた山腹をトラバースすると比較的展望の良い岩場に出る。
ここからは正面に大ボシ山が見える。
大ボシ山(大星山)は、「王没山」とも「王亡趾山」ともいわれ、安徳帝最後の地として伝えられているらしい。


岩場から眺める大ボシ山。

さて、岩場から更に横ばいに進むと麓の神賀山から延びてきた登山道に合流する。ここからドウダンツツジなどの紅葉を楽しみながら左手に登り返すと再び中都山の頂に帰り着く。この間20分あまり。

帰途はもと来た道を引き返し、「上水」の分岐まで10分、「四の辻」までも10分あまり、奥神賀山の鳥居には、更に40分ほどで帰ることができるが、縦走の場合は帰途にもそれなりの時間を要する点は注意して欲しい。
なお、奥神賀山からは15分程度で登山口の峠に辿り着く。


備考

「高賀関」とはどこを指すことなのかは不明。詳しい方は教えてください。
なお、山頂の西には「船形石」「お亀岩」などがあり、大ボシ山を越えて鉢ケ森にも安徳天皇の伝説があるのは興味深い。

何れにしても、この山にはいたるところに信仰の場所があり、一度、麓の神賀山から奥神賀山までを
地元の詳しい方のご案内でゆっくりと歩いてみたいものです。