さて、岩佐の関所を後にして、いよいよ私たちは四国百山「野根山」へと向かって歩き始めた。
野根山への登山口は岩佐の関所跡に立つ指標(標柱)の脇に、赤いテープのつけられた小道があるのでそれとなくわかる。高松軽登山同好会のものであろう小さな「登山道」の赤いプレートも下げられている。以前は標柱に野根山への指標も付けられていたようだが、安易に踏み込むハイカーの事故を懸念してか現在指標には切り取られたような跡がある。
野根山街道を逸れて小道に踏み込み、なだらかに7分ほど行くと左手に登りの脇道が現れる。野根山へはこの登り坂へと踏み込む。この分岐にも赤いテープが小枝につけられおり見逃すことはないだろう。なお、ここをうっかり行き過ぎると岩佐の関所より延びてきた街道に再び出ることになる。
岩佐の関所跡そばに野根山へと向かう道がある。左手の立木には「登山道」と書かれたプレートが下げられている。
分岐から坂道を上ってゆくと3分ほどで一旦小さなピークに出る。辺りは針葉樹とササで見通しが悪く、慎重に踏み跡を辿らないと戸惑ってしまうかもしれない。
しかし、数分でササは切れて登山道正面に野根山山頂が見えてくる。
夏草の繁茂した坂道を登ってゆく。
良く整備された街道とは対照的に夏草の鬱蒼とする坂道でイバラなどと格闘しながら山頂直下の急登を這い上がると、北面の植林脇を回り込んで小さな山頂に辿り着く。足元には三等三角点の標石がある。
岩佐の関所跡から標高差80mあまり、徒歩約20分で登ってきた野根山山頂だが、周りは木々に覆われて展望はきかない。
木々に囲まれて狭い野根山山頂。
山頂で簡単な記念撮影の後、少しでもこの山からの展望を目にしたいと思った私たちは、山頂から北面を少し下り伐採跡のヤブに踏み込み、植林の縁でどうにか甚吉森や剣山系など北の展望をカメラに納めた。
更に山腹のヤブを散策すると南の樹間からは太平洋の白波が確認でき、西方面には出発してきた電波塔がはっきりと見えた。
野根山街道を紹介した書物は数えきれないほどあるがその割に詳しく語られなかった野根山も、実際に散策してみるとそれなりの楽しさがあるものである。
夏雲の下、野根山山頂北面の山腹から見る北の展望。
太陽は少し傾きかけたのに昼食がまだだったのを思い出して野根山からの下山を開始する。
もと来たシロモジやヒノキの林を足早に下り、横道に出てからは左へとほんの少し下り野根山街道に合流する。(横道を右にとると岩佐の関所跡に引き返すことになる。)
合流してからも、さらに野根山街道を進んで行く。
合流点から十数分で炭窯跡を過ぎ、丸木で土止めされた急な階段を登って行く。
さすがにこの辺りまで来るとあまり歩く人もいないのだろう、街道はやや荒れて路面には剥き出しの石がゴロゴロと、両脇の林も俄然自然林の趣になってくる。岩佐の関所跡など賑やかな人工物と離れ、もの寂しげな街道がかえってワクワクとした山歩きを約束してくれるようでさえある。
しかし昼食がまだだった私たちは、四郎ケ根峠(しろがねとうげ)まで7kmほどを残してこの日の折り返しとすることにした。
街道の脇に腰掛けて、山向こうに花折峠や四郎ケ根峠へと続くやまなみを眺めながら遅い昼食を摂った。
ゆっくりとした昼食の後、後ろ髪を引かれる思いで街道を引き返した私たちは、いつかこの辺りまで、今度は四郎ケ根峠から逆に辿ってみようかと語り合ったのだった。
ここに紹介した行程は、全行程35Kmにもおよぶ野根山街道のほんの一部分でしかなく、ポピュラーな米ケ岡から四郎ケ根峠への20kmに対してもその4分の1程でしかない。今回紹介からもれた米ケ岡からの前半部には有名な笑い栂(ツガ)や宿屋杉、四郎ケ根峠手前の後半部には街道唯一の地蔵がたつ地蔵峠やウンゼンツツジの咲く花折峠などなど、魅力的な場所がまだまだたくさんある。
いずれ、機会があればこのページに追加してゆきたいと考えている。
*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
電波塔奥の登山口<7分>野根山街道との合流点<10分>熊笹峠<10分>装束山<7分>装束峠<2分>お茶屋場<1分>装束峠<6分>お産杉<17分>加奈木の崩え<16分>蛇谷別れ<6分>四里塚<10分>岩佐関所跡<20分>野根山
【復路】
野根山<20分>合流点<10分>川島家屋敷跡<3分>岩佐関所跡<4分>四里塚<6分>蛇谷別れ<12分>加奈木の崩え<11分>お産杉<5分>装束峠<13分>熊笹峠<12分>野根山街道との合流点(電波塔への分岐)<10分>電波塔奥の登山口
備考
今回、私たちは装束無線中継所での無線運用を兼ねて電波塔から野根山を目指したのだが、一般には電波塔の手前で出会う「宿屋杉登山口」から登りはじめるのが良いでしょう。宿屋杉登山口から岩佐の関所跡までは約5kmである。
文中において触れた里程塚(一里塚)については、宿毛市の一里塚が非常に有名なのでここに取り上げておきます。
宿毛市は押ノ川の市山にある一里塚は昭和38年に宿毛市の史跡に指定されており、ヤマモモとマツの巨木があったがマツは近年に枯れてしまい今は朽ちた株が認められるだけである。
かつて宿毛松尾坂から甲浦まで、50を越えて存在した一里塚も、現在その存在をとどめているのは僅かであり、野根山の里程塚同様に貴重な史跡といえる。
なお、ここには日蓮宗の題目「南無妙法蓮華経」が刻まれた経塔(きょうとう<(*1)題目石塔ともいう>)が建っており、貞享元年(1684年)に日蓮聖人滅後400年を記念して建てられたものと考えられている。ここの経塔(宿毛の経塔)に刻まれていた記録から、当時県内に3塔が建てられたことがわかり、その後確認された東洋町甲浦の「甲浦の経塔」と、高知市五台山山麓にある「五台山の経塔」の3つをあわせ、『貞享元年銘法華経塔(ていきょうがんねんめいほけきょうとう)』として高知県の文化財に指定されている。
(*1)このような宝珠や笠を持つ経塔を、正式には「題目式笠塔婆」と呼ぶ
宿毛市の史跡「一里塚」。ヤマモモの大木の元に大きな経塔(左下)が建っている。