五里塚を過ぎると街道はしばらく下り坂が続く。
小さな枯れ谷を渡り、ここもところどころ荒れて倒木が散乱した街道を下って行く。

五里塚から10分ほど下ってきて、街道は登り坂に変わる。
道の脇には大きなアカガシの大木が立っている。杉村さんがすかさず「参勤交代を眺めてきたアカガシの大木」、と呟いて梢を見上げた。


街道脇に聳え立つアカガシの大木。

アカガシの大木から少し行くと、街道筋に古びて壊れかけた道標をみつける。そこには野根山街道保存協議会の看板もあり、北川村の極道と野根村の極道との他愛ない極道比べの話が書いてあった。
右手に小さなピークを見ながら、尾根の左手を巻いて、間もなく「具同寺への分岐」が近くなる頃、再び辺りは濃いガスに包まれてきた。

街道は室戸市佐喜浜段の奥に位置する「段の谷山」に下る脇道(「段の谷山登り口へ1.5Km」の指標がある)を過ぎると、すぐに具同寺別れの分岐になる。ここから岩佐関所へは2.5Km、四郎ケ野峠へ6.4Kmの道標が立っている。
ここを右に別れて北に下れば「具同寺」の集落跡に至るようだが、現在はまったく使われていない。私たちはこの道も確認しておこうと、麓の具同寺から登り口を確認してみたが、集落はヤブに覆われ、取りつくあてもなかった。


具同寺分岐を過ぎると地蔵峠は近い。濃くなるガスの中を地蔵峠に向かう。

さて、具同寺別れを過ぎるといよいよ地蔵峠は間近い。
ガスの立ちこめる林を3分ほどで地蔵峠に着く。

今日の地蔵峠は濃いガスに包まれ、幽玄の世界に包まれてる。ひとまずここで遅い昼食をとることにした。

地蔵峠にはその名の通り地蔵が奉られ、細面で耳の大きな合掌姿の舟形地蔵が街道の脇でひっそりと時の移ろいを見続けている。野根山街道で唯一の地蔵には、天保三年(1832年)辰五月吉日の銘がある。
地蔵峠は、かつてこのあたりに天然杉が多数林立していたところから「千本峠」と呼ばれていたが、天保年間に地蔵が奉られてからは地蔵峠と呼ばれるようになったという。

 
地蔵峠で昼食をとる。右は路傍に佇む舟形地蔵。

ところで、時間が許せば野根山までとも考えていた街道歩きだったが、昼食後、協議の結果、本日はここまでとした。しかし折角なので、段の谷山登山口の上方にある「天狗杉」に向かうことにして街道を引き返すことにした。

ガスはいよいよ濃くなる。下界は晴れているらしいがここでの視界は10m先がようようである。
梅雨の最中というのに、ガスに包まれ、涼しいと言うより少し肌寒い。

具同寺別れを過ぎ、佐喜浜へ下る分岐まで引き返し、「段の谷山登り口へ1.5Km」の指標に従い南へと下る。
スギの植林帯を下って行くと、ところどころに黄色いテープでコースサインがあり、要所ごとに「のねやまかいどう、みぎへ」などの道標が設置されている。中にはすっかり文字の消えてしまった道標もあるが、道標のあるところでは必ず折り返して下ってゆく。
道標やザレ場ごとに稲妻状に折り返しながら下ってゆくと道沿いにも杉の巨木が幾つか現れる。
中でもザレ場に立つ魚梁瀬杉の巨木は、樹高45m、推定樹齢370年とこのあたりでひときわ大きい。しかし、天狗杉はこんなものではないというから今からわくわくしてくる。
しかし暫く下ってもそれらしき巨木は見あたらない。

野根山街道から下り始めて約20分、大杉への分岐を見逃してしまったかと不安になってきた頃、ようやく登山道に「段の谷山大杉へ」と書かれた看板を見つけて「ほっ」と一息つく。
指導標に従って右に下ると登山道から1分ほどで「段の谷山天狗杉」が見えてくる。
その圧倒的な姿に私たちはしばし呆然と声を失った。


巨大な段の谷山の「天狗杉」。

1991年当時の環境庁による「日本の巨樹・巨木林(中四国版)」にも記載されているこの「天狗杉」は、スギとしては大豊町にある「日本一の大杉(杉の大スギ)」に次ぐ巨木としてその存在を強烈にアピールしている。
その報告書によれば幹周は約12m、樹高約40m、推定樹齢300年以上とあるが、実際にこの杉のもとに立ってみると数字以上の大きさを感じる。
こんな見事な巨木がひっそりと生き続けてきたことに高知県東部の山の懐の大きさを感じずにはいられない。
野根山街道には有名な「宿屋杉」の巨木があるが、そちらはすでに枯死してしまっているのと比べ、こちらの杉は今も堂々と立ち続けていることに驚きと畏敬の念を感じる。
ただ、残念なことは株元から5mほど上部で幹が二つに分かれてしまっていることである。
しかし、降水量が多く全国にその名をはせるスギの産地にあってこれだけの巨木はまぎれもなく天然記念物クラスであろう。
時間の許す限り大杉のもとでシャッターを押し続けた。愛しい人としばらく逢えない別れを惜しむように。


「天狗杉」からは1分足らずで登山道に戻り、野根山街道に引き返す。登り坂はきついが、大杉に出会えた喜びが苦労を和らげてくれる。
それでも20分あまりかけて街道に戻り着いた頃には汗で身体中がぐっしょりと濡れていた。

天を突く巨木に興奮冷めやらないまま往路を引き返し、今日の最後の目的地である「鐙山」に向かう。

五里塚を通過して約15分、「小野御茶屋の段休憩所」の少し手前あたりで、街道の左手に立つ山界標石から踏み跡を辿り鐙山の山頂に向かって登る。なお、入り口が分かり辛いときは街道と尾根が接する付近から適当に尾根に取り付き、尾根をピークに向かえばよい。
街道から数分でなだらかなピークに出る。付近で一番高いだろう地点に大きな天然杉が一本立ち、足もとをツルシキミが覆っている。ここが鐙山の山頂である。


鐙山の頂にて。

ふと見ると、足もとに山名板がある。そこには「続山南峰、東洋町最高峰」とある。
なるほど、ここから北東にある三等三角点「続山(862.1m)」を基点に考えればここは「続山南峰」にあたる訳だが、しかし、ちょっと待って欲しい。それでは「続山」とはどの山の続きなのだろうかという疑問が出てくる。
過去の文献などから推し量れば、実はここが鐙山で、鐙山の続きにある三角点こそが「鐙続山」ではないかと思える。
ちなみに、国土地理院の三角点情報にも「続山」の所在地は「鐙続山」であると明記されてある。
どこを基点にするのかで見方はずいぶん変わってくるが、これはたとえば中東山が口東山であると同様の考え方でもある。
もちろんこれには異論もあるだろうが、私たちはここを「鐙山」と呼んで差し支えないと考えるのである。
相変わらず山名の確定は難しい。ここが「この山名」でなければならないという事でもない。だから敢えて山名板を弄ることなく「鐙山」を後にした。
振り返ると天然杉の大木は瞬くガスに包まれ、視界から忽ち姿を消した。


街道に戻った私たちは疲れを引きづりながら四郎ケ野峠まで引き返した。
行きに心配していた通り、花折峠への登り返しはきつかった。
しかし、念願だった区間を歩いてみて様々な事が分かった。
いつもの事ながら、市販のガイドブックでは見逃されている事実など、やはり実際に歩いてみないと分からないことだらけなのである。


街道にひっそりと咲いていたイチヤクソウ。



*全行程の私たちの所要時間(コースタイム)は以下の通り。
【往路】
四郎ケ野峠登山口<51分>花折峠<27分>清助地蔵説明板(水場)<20分>一の門<6分>小野御茶屋の段<25分>五里塚<26分>具同寺分岐<3分>地蔵峠
=計158分

【復路】
地蔵峠<2分>具同寺分岐<17分>段の谷山「天狗杉」<22分>具同寺分岐<25分>五里塚<18分>鐙山<12分>小野御茶屋の段<5分>一の門<14分>清助地蔵説明板(水場)<24分>花折峠<39分>四郎ケ野峠登山口
=計178分

*段の谷山の「天狗杉」や、「鐙山」に立ち寄らない場合はおよそ45分ほど時間短縮することができます。


備考

登山道中にある「清助地蔵案内板」近くの水場は谷川のため、降雨時など濁水になる場合があります。飲み水は持参することをおすすめします。

今回紹介した行程の歩行距離は往復13kmあまりあります。余裕ある行動をとる為にも総所要時間は7時間以上をみておくと良いでしょう。


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