ところで、大ボシ山の山名については、「山と野原の会」によるガイドブック「山と野原を歩く」で無名峰とある通り、国土地理院の地図には山名が表記されていない。しかし、手元にある林班地図によれば「怒田山(ぬたやま)」と表記されており、これは山頂の北にある「大豊町怒田地区」の地名からくるものであろう。また、「大ボシ山」という名前は送電鉄塔の表示にも出てこないと書かれておいでだが、後ほど訪れる27番鉄塔には「大ボシ山」の表示があり、前述の地図によれば一帯は国有林大ボシ山林班である。
ここでは、すでにポピュラーとなった「大ボシ山」を山名としているのだが、では、大ボシの由来は何なのだろうか?
「大ボシ山」に漢字をあてると「大星山」とも表記する場合がある。これについて前述のガイドブックでは、シリウス(天狼星)が大星(オオボシ)という呼ばれ方をするという興味深い私見を述べておられる。
他方、ここにも平家伝説が生きており、「安徳天皇」終焉の地として「王没山」あるいは「王亡趾山」の字をあてる場合もある。近くには平教盛が逝去した場所として「御宰相の森(御在所山)」もあり、同じく近傍の中都山や神賀山同様に様々な伝説を育んでいる。
ただ、平家伝説にまつわる安徳天皇最後の地と言い伝えられる場所は全国に幾つかあり、高知県では横倉山の安徳天皇御陵参考地が有名だが、お隣り徳島県の祖谷(いや)や、遙か「対馬」や「硫黄島(鬼界島)」にも安徳天皇陵と伝えられる陵墓がある。
平家伝説にいたっては徳島県の祖谷地方をはじめ全国津々浦々に数え切れないほどの伝説が残されており、遠く与那国島をはじめ南西諸島の島々にまで伝えられている。もちろん、その多くは確かな歴史的根拠を持ち合わせてはいないのだろうが、それはそれでも良しと私は思う。なぜなら、平家伝説が山村や離島などでの厳しい生活を営んできたひとつの糧だとするなら、それを否定するものを私は持ち合わせていないから。
極論かもしれないが、ひいてはすべての山に歴史的な背景が無ければならない訳でもなく、山はそこにあるだけで歴史を醸し出してきたという所以でもあろうか。それは、山名にも言えることで、すべてのものに確かな名前が必要な(名前を付けたがる?)人間固有の観念で山の名前を語る必要もないと考えるのである。三嶺(みうね)が私の中では「さんれい」であるように。
さて、山頂に着いてからそんなことを考えながらおよそ1時間、ようやく山頂を取りまいていたガスが切れ、展望が開けてきた。
山頂から、ほぼ北に直線距離で750mほどの所には1429mのピークがあり、ササ原がとても美しい。山腹には27番の送電鉄塔があり、その向こうに大豊町の集落が見えている。なお、このピークへは後ほど訪れることになる。
山頂から大豊町側(北方面)を望む。中央に27番鉄塔、左にはササに覆われた1429mのピークが美しい。
また、山頂から西方向には川又(こうまた)の渓谷を隔てて梶ケ森が、更にその尾根を左にたどると杖立山も見える。
ガスの切れ間に梶ケ森が姿を現す。左奥には杖立山もかすんで見える。
更に視線を移してゆくと、西から南へとは鉢ケ森などの峰々が、葉を落とした樹々の向こうに連なる。
国土地理院の地図を開くと、この方向には谷間山まで尾根伝いに破線が記されているが、山頂にそれらしき踏み跡は見つからない。谷間山のページでもこの道について触れているとおり、どうやら廃道と化したのかもしれない。
南に広がるやまなみ。右奥は鉢ケ森。
さて、幾つかの風景をカメラに収め山頂を後に、北西のピークをめざすことにした。
一旦、もと来た道を引き返し26番鉄塔まで戻る(所要5分)。
そこ(峠)から大豊町側に広い道を下って行くと、広葉樹林が美しい。
広々と気持ちの良い鉄塔巡視路を行く。
巨岩に積もる落ち葉や紅葉の織りなす晩秋の山肌を下って行くこと約5分、最低鞍部あたり(標高約1330m)で枯れ谷を渡る。右下方からは沢の音が聞こえてくる。
峠から北面を一挙に下ってふり返ると、26番鉄塔がもうこんなに遠くに。
更に、3分後、ちょろちょろと水の流れる小さな溝を2度ほど横切る。そこには少しだけ崩壊した場所もあるが、慎重に歩を進めれば危険と言うほどでもない。それどころかほとんどが、ことのほか広い登山道に驚かされる。
やがて道は緩やかに登り、正面に聳える鉄塔が見えてくる。峠から20分足らずで27番鉄塔に着く。鉄塔表示板には先述したように「大ボシ山」の表記も見られる。鉄塔巡視路は更に鉄塔の下をくぐり大豊町怒田へと続いているが、ササ原のピークへは、ここから西方向に登って行く。
予想通り27番鉄塔からピークまでは道らしきものが見つからないので、直登のヤブこぎでピークをめざす。が、林の中はスズタケも少なく思ったよりは歩きやすい。
しかし、わりあいなだらかなで、同じような風景が広がるうえに、時々ガスで視界が悪くなるため、復路の確保は慎重を要する。
短い間隔で立木に「目印」を付けながらピークを目ざしてゆく。
樹林の中は思った以上に広々として、明るい林相。