広い笹原に一人で佇み、山並みや青い空を眺めていると時間の経つのも忘れてしまう。
たっぷりとひとり占めの自然を満喫した後、奥神賀様の祠に向かった。ここは一旦来た道を引き返し広い登山道まで戻る。最前の標まで戻ればそこを右手(西)にすぐ、立派な鳥居が目に飛び込んでくる。見事な烏帽子岩に抱かれるように奥神賀様の奥ノ院の祠がある。注連縄(しめなわ)がかけられた鳥居には「奥神賀」と記されている。
ここまで登山口から500mほどである。


奥神賀の立派な石の鳥居。後方の烏帽子岩に抱かれるように奥の院の祠が座している。

神賀様の奥祭りがあったのであろう、奥の院のまわりはきれいに刈り払われている。
祠に手を合わせてから、鳥居の前を南にササの中を40mほど行くと、例のザレ場の上に出る。結構大規模な崩壊地で足元はえぐり取られているので気をつけながらザレ場の上に立つと、剥き出しの山肌の下に紅葉が、正面向こうには物部村大栃の集落がキラキラと輝いており、その彼方には安芸市との稜線の山々がかすんで見える。
更に右手にこの山から派生した尾根をたどると神賀山や中都山などが並んでいる。
東には高板山が目の前で、その山腹を林道が縫って走るのがわかる。


ザレ場(右手前)の上に立つ。中央ピークの奥が物部村大栃の集落。右手奥に神賀山。

ところで、鳥居から西に少し行くと分岐になり、右に行けばすぐに注連縄を張り巡らした岩場(「行場(岩くろ)」と呼ばれる辺りであろうか?)に出会う。
高板山をはじめとして、この界隈の山々には様々な祭場があり、神の山として今なお山岳信仰が根強く生きている。
さらに、この山もかつての平家敗走ルートと考えられ、高板山(こうのいたやま)同様に、ここから中都山へは平家伝説など様々な言い伝えが色濃く、修検の道と平家伝説との関わりは興味深い。


ザレ場から東方面の眺望、手前右端は高板山。

なお、こちらの道はこのいわくありげ?な岩で行き止まりの様である。
引き返し分岐を
今度は西に行けば中都山を経由して神賀山に下ることが出来る。

是非一度挑戦してみたいコースではあるが、この日は中都山までの縦走にとどめることにした。



登山口の豊永峠から大豊町側には美しい渓谷美が広がる。この流れは四国三郎吉野川へとそそいでいる。

中都山までの山歩きは次回ご紹介したいと思います。

備考

登山口から山頂までに水場はありません。従って、大豊物部両町村の林道脇の渓谷で補給するか、もしくは中都山への縦走路まで足を延ばすしかありません。

この山の前衛である猪野々地区の神賀山の秋の大祭「神賀様」は毎年11月1日で、これに先立つ奥神賀山の奥祭りは10月20日。奥祭りの前には参道が整備されるので、神賀山から中都山を経て奥神賀山に向かうにはそれ以降が良いでしょう。この頃以降ならスズタケなどのササがおおう登山道もきれいに刈り払われ、神賀山からの参拝道は快適で歩きやすくなります。幸い紅葉の見頃もちょうどその頃です。