大峰山  2000年6月11日

大峰山は標高202mの超低山である。しかも今日の登山コースの標高差は60m程度。
とても登山対象とは言い難いが、だからといって除外してしまうには惜しい修験の山でもある。
高い山に登らなければ見られない風景がある様に、低山だからこそ得られる景色もある。山で見る風景は目で見た物がすべてではないとつねづね思う。広がる景色に向かいあう心は、目に飛び込む以上のものを見せてくれることも多い。

あまり知られていない山を歩くのが好きだからこの山を選んだのだけれど、本来なら麓から歩くつもりが、実は
、前夜は飲み会だった。しかも、登頂当日は午前中まで雨、午後は曇り。身体も天候もコンディションの良くないときには、こういう超低山でさえ、ショートカットして"上"の登山口からアプローチしてしまうのだった。


大峰山里山林道脇にある、南の登山口。轟神社の鳥居が目印。

高知市から、国道55号線を東に夜須町(やすちょう)に入り、手結(てい)漁港の入り口の信号を過ぎたら注意しながら車を走らせる。
先の信号から間もなく、手結山(ていやま)トンネルの手前で国民宿舎「海風荘」の入り口が見つかる。小さな入り口だが、「考える村」へなどの標識が賑やかである。国道から左折して400mほど行くと、最初の三叉路に「考える村」への標柱があり、この三叉路から「大峰山里山林道」を1.1Kで登山口に着く。
ここ、南の登山口には轟神社の下の鳥居があり、三叉路から左手を注意していれば、労せず入り口は発見できる。


登山口からすぐで西方向の展望、手結漁港や海水浴場、遠く市街地がかすむ。

林道の適当な場所に駐車して荷を整える。潮風のにおいを嗅ぎながら、登山口の鳥居をくぐれば、海辺に近い山らしく登山道にはシダや松が多い。数歩も歩くと西の景色の良い場所を過ぎ、それからは樹木に遮られ展望は開けない。
梅雨(つゆ)の中休みを利用して登りはじめたが、濡れた登山道はぬるぬるした石に覆われ、想像以上に歩きにくい。しかも、この時期は道を草が覆い、登り初めてすぐに合羽を余儀なくされた。
登山道に被さる草は丈が高く、スパッツではとてもしのげない。


シダや樹木に覆われた登山道。

雨後の雫を受けながら登山道を行くと、背後で洋上を舞うトンビの鳴き声が切ない。

滑りやすい道に注意しながら、登山口から8分ほどで轟神社の社が見えてくる。
社へと続く階段の右手には、大正11年建立の百度石がある。ここを右手には北の登山口へと至り、左手へは大峰山の山頂へと向う道もあるのだが、大峰山の山頂に向かう道は、現在は、上部の社の裏手からのルートが使われているようで、ここから左手の道は、ほとんど踏まれた様子がない。従って、ここでは、狛犬や鳥居を抜けて、ひとまず石の階段を神社へと向かう。
轟神社は平成12年4月に建て替えられ、真新しい白木造りの社は木の香が漂う。立派な社である。
話が逸れるが、私の住む田舎にも、歩いて行かないとゆけない幾つかの社殿があり、どれも随分年代を経ている。建て替えともなると氏子も少なく一筋縄にはゆかない。それだけに真新しい社に出会うと、その地域で生きる人の頑なさを感じずにはいられない。


轟神社へと続く階段。ここを右に北の登山口、左には廃道寸前と呼んでもおかしくないかつての山頂への道がある。

さて、そんな轟神社の右側裏手にはかつての祠があり、神社の左裏手には「轟神社十年祭記念の碑」が建っている。大峰山へは、さらに、この碑の裏手から良く整備された道をたどる。神社裏からの道は、この神社の建てかえに伴い、運搬車が通行できるほどに整備されており、おかげで非常に歩きやすい。
神社の裏手からすぐをやや下れば先の鳥居からの廃道になりかけた道と出会い、山頂を目指す。