轟神社の裏手から歩き出して1分程度でこの整備された道は、右に大きくカーブするが、ここでは左手の小さな道へと進む。ところどころまとまって生える竹の脇を抜け、さらに数歩で、それとなく右手に尾根へと駆け上がる踏み跡を見つける。
そこを尾根へと駆け上がれば、前方の広場に祠が見えてくる。この小高い場所が霊峰大峰山山頂である。祠の左手のこんもりとした場所には、立木に「大峰山202m」の札も下がっている。この山はかつて女人禁制だったらしい。ここまで、轟神社から3分程度。
大峰山山頂。手前の百度石と手水鉢の向こうに大峯神社が見える。写真左手を進めば南の展望所へと向かう。
山頂の広場の手前には苔むし風化した百度石がある。手水鉢には天保14年の銘がある。
倒れかけたヒノキ(しかし生きている)の向こうに小さな祠があり、注連縄がはられている。雨後の靄(もや)がけむる林の中に祠は静かに座している。
この祠の中には、石灰石やあるいは珊瑚かと思われる石が詰められている。奇妙なご神体である。
この石について、麓の方にたずねてみたが、由来は定かではなかった。ご存じの方はぜひ知らせていただきたいと思います。この祠こそが大峯神社で、足元には両側に丸く鳥居の跡がある。ここの鳥居は朽ちて後、新たに建てられることはなかったようで、先の轟神社とは対照的である。
さて、山頂は樹木のせいで残念ながら展望がきかない。
そこで、前述のガイドブックで案内された展望所へと向かう。大峰山の山頂からさらに1分足らずで奇妙な祠の裏側に達し、祠が向いている南方向に踏み跡をたどって数歩、シダの広がる疎林で展望が開ける。
林の間からのわずかな範囲の展望だが、今日のような天候でなければ、きっとホテル「海の果樹園」越しの太平洋は水平線まで美しかったことだろう。
奇妙なかたちの祠、こんな祠には初めて出会った。
なお、ここで出会う祠は丸太をくりぬいた上に、石が屋根代わりにのせられている。祠の中には明治7年の銘があるが、それがこの成り立ちと因果なのかは定かでない。祠の中にご神体らしきものは認められなかった。
さて、帰途は、いったん山頂近くまで引き返し、山頂に登り返さないで分岐を右手に進み、大峰山の頂を左手に、轟神社と大峰神社とのほぼ中間にある分岐(轟神社の建て替えのために整備された道)まで帰る。
そこで左へと整備された道を行く。ヒノキの植林の水平道を抜けてすぐに分岐になる。
目の前の枯れた松の木には数羽のトンビが羽を休めている。
この分岐を左に下れば北の登山口に降り立つが、ここは右に折り返し、再び轟神社に向かって歩いて欲しい。なぜなら、ここから見る南から東にかけての風景は素晴らしいので。
南の手結岬方面、住吉から琴ケ浜、芸西村の町、そして大山岬から室戸岬まで続く海岸のシルエット。足元にはゴルフ場の芝生が広がる。あいにく青くはなかったが太平洋の水平線は空に溶け込み、手結住吉県立自然公園を含む眺めはまさに雄大である。気配を感じて飛び立ったトンビが風に乗って舞う姿も美しい。
この分岐から先の轟神社までは登り返しても2分ほど。木製の土止め階段からも景色がよい。
轟神社手前の木の階段から、芸西村方向の太平洋を望む。
さて、展望を楽しんだら先の分岐まで帰り、そこをさらに下れば鳥居を抜けて、1分もかからず「霊峰大峰山北上り口」と記された石標まで降り立つ。
北登山口では、広い道が鳥居へと向かっている。
ここは、大峰山里山林道の延長であり、松が張り付く山手の崖を眺めつつ、林道をつづらに300mほど下れば5分程度で元の登山口に帰ることができる。
備考
登山道に水場はありません。
蛇足ですが、この日には大峰山の北東約2.5kに位置する「城山(340m)」へも足を延ばしました。城山の山頂はなだらかな丘陵風でしたが、イバラなどが蔓延り、あちらこちらへと散策、という訳にはゆきませんでした。展望もイマイチでしたが興味のある方は、考える村の入り口手前から登られると良いでしょう。取り付きにテープなどの印があります