笹ヶ峰 2002年5月6日

四国で1000mを越える笹ケ峰三山の中で、大豊町と新宮村の境にあるこの山は、三山の中では登山者が比較的少ない静かな山と言える。
しかしこれから辿る登山道は、江戸時代に土佐藩主山内侯が参勤交代に使用した官道として、また伊予と土佐の重要な生活道として、かつては随分と賑わっていた道なのである。
碁石茶と
いうお茶をご存知だろうか?
かつて嶺北一帯で作られていた碁石茶は、この笹ケ峰峠を越えて瀬戸内や九州にまで広がり、人々の生活に溶け込んでいたのである。
その替わりに貴重な塩などが山間部に持ち込まれ、この街道を様々な人や物が行き交っていたのである。

高知自動車道大豊インターチェンジ付近から県道5号線(川之江大豊線)を北に走ると、道は吉野川の支流「立川川(たぢかわがわ)」に沿って蛇行しながら高知自動車道と仲良く北に進むことになる。
この車道の高知県側は随所で旧官道の史跡をたどりながら延びており、道沿いにはかつて参勤交代の折りに土佐藩主が宿をとった「立川御殿(旧立川番所書院/国の重要文化財)」(備考を参照)などがある。
車道が立川川を離れ山腹を縫い、高知と愛媛の県境にある笹ケ峰隧道も近くなると、県道脇の登山口に着く。ここまで大豊ICから約50分ぐらい。
登山口には標識が賑やかで「土佐北街道、笹ケ峰峠入口」の道標も見える。
笹ケ峰への登山道であるこの官道は「土佐北街道笹ケ峰越え」と呼ばれ通称「北山越え」とも称されるが、愛媛県側では単に「土佐街道」とか「立川街道」と呼ばれている。この街道は平成8年11月に「歴史の道100選」に選定されている。


標識が賑やかな県道脇の登山口。

私にとっては実に7年ぶりの笹ケ峰は、この道が初めてというお殿様ならぬ「お姫様」をご案内しての山歩きである。
県道脇のスペースに駐車して、ヤマツツジの咲く登山口から薄暗い杉の植林の中へと入って行く。
スギ植林の中、ササを分けて登山道は旧官道を辿って行く。
さすが参勤交代の道だけあって道幅もそれなりに広い。
かつてこの道を土佐藩主も登ったと思うと感慨深いが、大変だったのは駕籠かきや人夫たちだったろう。
参勤交代には官用輸送人夫1000人、道普請など人夫6000人が沿道整備や荷物運搬にあたったと言うから沿道の住民たちの苦労がうかがわれる。


登りはじめは植林の中、石畳の残る登山道を行く。


登山道の脇にはいたるところにホウチャクソウが花を咲かせている。

林床にホウチャクソウの花を見ながら、登山口から15分ほど登ってくると右に折り返す辺りでかつての名残である苔生した石畳に出会う。
この付近からは植林も薄くなり、新緑の雑木林が心地よい登りになる。
笹ケ峰の愛媛県側には「七曲がり」「腹包丁」などその名も険しい難所があり、お殿様も駕籠を降りて歩いたといわれるが、それに比べれば高知県側の道はさほどきつくはない。


旧官道の名残である石畳を踏みながら上をめざす。

やがて茗荷(みょうが)が自生していたという「茗荷のなる」の水場(水は涸れることが多い)を過ぎ、コチャルメルソウなどを眺めながら石がごろごろとしたガレ道を登ると、リョウブやウツギの林を抜けて稜線(笹ケ峰峠)はもう目の前である。
登山道の両側には、「籠立場(かごたてば/峰休場ともいう)」といわれる数段の広場が見えている。



きれいな石垣積みの登山道。